
「諦めたらそこで試合終了ですよ」~ドボジョとして橋梁建設に挑む~
株式会社日本ピーエス
経営企画本部 ビジネスイノベーショングループ グループ長
青木 治子(平成8年卒)
株式会社日本ピーエス
https://nipponps.co.jp/
株式会社日本ピーエスは橋梁メーカーのパイオニア企業として、設立以来16,000以上の橋を作ってきました。男性ばかりという土木の世界。同社もそれに違わず社員の多くは男性。その中にあって、けんせつ小町として活躍する同窓生がいます。平成8年卒の青木治子さんです。橋梁建設には欠かせない技術者でありながら、ドボジョ(土木女子)を増やす活動もしている青木さんに話を伺いました。
現在、株式会社日本ピーエスではどんなお仕事をされていますでしょうか。あわせて入社以来どういったお仕事に携われたのかお聞かせください。
現在は、ビジネスイノベーショングループという新設された部署で部署長をしています。この部署は、社内の困りごとを、DX技術を活用推進や、業務フローの見直しなどによって、解決に導く部署です。現場がうまく回っていくよう、あらゆる関係部署との調整をするなど、ある意味で経営を担う部署の一部といえます。
入社以来、プレストレス・コンクリート(PC)橋梁(※1)の設計業務を中心に現場での施工管理を行ってきました。橋と聞くと大きな橋を皆さん、想像されるかと思いますが、気づかず渡っている小さな橋もたくさんあります。そんな橋の設計や施工を行ってきました。
ひいおじいさんが土木関係の技術者だったことが今の仕事につながったと思っていますか。
子どものころは何になりたかったですか。
多少はあったかと思っていますが、幼いころ、曾祖父から仕事の話は聞いたことがありませんでした。ただ、小学生のころ、進級するたびに「小学生の社会」という勉強テキストをプレゼントしてくれました。3年生になると、「小学3年生の社会」、4年生には「小学4年生の社会」です。国語、算数、理科ではなく、なぜ社会なのと思っていました。トンネルの施工技術者として全国を飛び回っていた曾祖父が少しでも自分の仕事に関することを私に伝えたかった、それが社会のテキストだったのかなと今は思っています。
こどものころの夢は宇宙飛行士と総理大臣です。小さいころから宇宙のことが好きで単純に宇宙飛行士になりたいと。総理大臣は、政治に大きな関心があった祖父から、「お前は日本初の女性総理大臣になるんだ」とよく言われていたことからです。総理大臣がどんな人かも分かっていないのにすごく偉い人というだけで、なりたいと思ったようです。
滝学園時代、どんな生徒でしたか。
中高6年間、バスケットボール部に所属していました。バスケを選んだ理由は、体育館で練習できるスポーツだから。滝中には卓球部かバスケ部しかなく、体を動かすということからバスケにしました。バスケの魅力にはまり、素晴らしい仲間とも出会え、この選択は本当に正しかったと思っています。一緒にやってきた仲間とバスケを続けたいと高校でもバスケ部に入部。高校の女子バスケ部には、スポーツ推薦で商業科に入った先輩方が多くいて、レベル的に高く、練習もかなり厳しかった。そんなハードな練習を、漫画スラムダンクで学んだ根性と努力で続け、高校3年生の時に、県大会まで行くことができました。続けていて本当に良かったと私は思ったのですが、親の方にしてみれば、娘の大学受験はこれで失敗するだろうと覚悟したそうです。勉強そっちのけでバスケばかりしていた6年間でしたが、もう一度中高生活を送るのであれば、滝中学に合格して、バスケ部に絶対に入ります。中学のバスケ部のメンバーも、高校のバスケ部のメンバーも全員、大好きです。
お世話になった先生はたくさんいますが、やっぱり、高瀬裕隆先生ですね。今はどうか知りませんが、当時は見た目が優しくない、どちらかというとぶっきらぼうなイメージの先生でした。そんな先生が私がクラスでちょっと浮いていることに気づいてくれたのです。私の様子に気づき、「娘さん、ちょっと浮いていますよ。気にかけてあげてください」と、両親に声をかけてくれたのです。親にも話すことができず、困って、一人悩んでいたので、親からその話を聞いたときはとてもうれしかった。感謝しかない先生なのですが、数学の授業では迷惑ばかりかけていました。高校1年生の時に、高瀬先生の授業をほぼ聞くことなく過ごしたのです。高瀬先生が悪いわけではなく、数学が好きだったので、分厚い手作りの問題集を宿題として先にやってしまっていたので、その問題集の解答の説明をする先生の授業に意味を見出せず、ついうとうとと…。最初は「後ろで立ってろ」と言われ、最後は「廊下で立ってろ」となり、ほぼ1年間、授業を受けてないです。
杉浦謙二先生も迷惑をかけた先生の一人です。杉浦先生が滝に来た時の最初の生徒が私達でした。中学2年生の時です。若い先生がきたな~とうれしかったですが、なにせ、生意気盛りでしたので、なんだかんだと反抗していました。遅刻に厳しくて、遅刻5回で反省文、10回で親呼び出しという規則を徹底されていました。そんな夏休みです。夏休み期間中は遅刻にはカウントされないと私は考え、授業に間に合えばいい時間で学校に行っていました。朝のホームルームの最中に教室の外を歩いている私に対し、窓を開け、「青木、遅刻だ」と怒鳴られていました。先生は社会人になってからも遅刻癖がついてはだめだと厳しくしたということですが、そんな先生の気持ちも知らず、夏休み期間中はこんなやりとりばかり。迷惑しかかけてないですが大好きな先生です。先生の担当の化学の授業に関しても、先生には申し訳ないのですが、ベンゼン環が出てきて複雑になってきたあたりから完全に諦めました。センター試験に出る化学、つまりベンゼン環が登場する前の化学についてはばっちりできる自信があり、大学受験では物理を選択したので、ベンゼン環以降の化学はもうやる必要がなかったというのもありますが。授業をしっかり受けていなかったという点でこの二人の先生には大変な迷惑をかけてしまいました。
他にも石田雄二先生、遠藤一成先生、数学の青山行雄先生など、大好きな先生、お世話になった先生は数えきれないほどいらっしゃいます。中でも、0363(浅井修先生)の授業で言われてやったことがすごく記憶に残っています。「コンパスを使わずに真円をかけ」「定規を使わずに直線を引け」と言われ、意味わからんと思いながら書いていましたが、今の仕事をしているときに手書きで簡易な図を書くこともあるので、これについては本当に役に立っています。そういう意味では浅井先生に感謝です。
今日の取材は、滝教育研究所の前のお店(MADOCAFE)でしていますが、滝研の思い出などありましたら…
昔は場所、違いますよね。こんな立派な建物でもなかった。滝研(滝研修センター)には中学3年生のバスケ部を引退した後、時間があったのでみんなで行っていました。高校受験の勉強をする必要がないので、ただ単純にみんなで集まれる場所として考えていました。そんな中、友だちのカバンを滝研の電子レンジに隠して、見つけた友人があわてて取り出したら、ガラス製の回転テーブルを落として割ってしまった。ことの発端は私のいたずらであり、これまた、親呼び出し案件でした。 現在の滝研(滝教育研究所)は、今年度の同窓会懇親会の準備・打ち合わせの場所として使わせてもらっています。滝学園創立100周年という記念すべき年だけに、入念な準備が必要で、その場所として最適です。本当にありがたいです。


大学は、やりたい専攻科目とか進路を考慮して学部を決められたとか何か理由みたいなものがありましたか。また大学時代は、どんな生活でしたか。
物理が好きで得意な科目だったので、その物理を活かせるモノづくりの仕事に携わりたいと思っていました。ただ、土木系の仕事か機械系の仕事かで悩みました。そんな時、母から「ひいおじいちゃんと同じ仕事、土木がいいんじゃない。お日様の下で働けるのがあなたには向いているよ」と。ここで土木技術者であった曾祖父の存在が関わってくるのです。実は受験勉強をすぐにでも辞めたくて、試験日程が早い防衛大学を受けようとしたのですが、母親に反対された経緯があります。反対の理由が「女の子らしいことをして欲しい」。土木は、母の中では「女の子らしい」に入るんだと、とっても不思議でした。名古屋工業大学には後期試験で受かりました。大阪大学か父親が卒業した同志社大学に行きたかった。それは叶わなかったのですが、名工大に受かり、母親からの強い勧めがあって入学しました。大学に入って、一番うれしかったのは、初めての自転車通学です。名古屋市の東山から滝には電車通学をしていたので、単純にうれしかったのです。ただ、杉浦先生からは、「家から通える国公立大学に受かれば、入学祝いに車を買ってもらえるぞ」と言われていたことで、少しは車というものを期待していたのですが、私が買ってもらったのは、自転“車”でした。
大学2年生の1年間ボート部でボートを漕いでいました。筋肉ムキムキの時代で、それなりに楽しかったのですが、一年で辞めました。部活動のようなことは中高6年間で力尽きたと感じたのもあったのですが、本心は大学生活をもっと遊びたいと思ったからです。バイトは色々やりました。家庭教師やスイミングスクールのインストラクターなど。知人に勧められた、某ドーナツチェーン店でのバイトは4年間続けました。朝6時から2時間バイトして学校に行っていました。早朝バイトは、割増賃金で、かつ、授業を犠牲にすることもなく、友達との急な飲み会にも対応できるので気に入っていました。ちなみに、大学では、中国語と確率統計、すなわち麻雀、そして、運動エネルギーと作用反作用の法則、すなわちビリヤードを熱心に勉強しました。友人の下宿先に一部屋あいていて、そこを麻雀部屋にして、テツマン(徹夜での麻雀)をよくしていました。親には徹夜でカラオケと言って。まさしく典型的な昭和の“男子”大学生の生活を送っていました。
いつ頃から土木の道・建設業界で働こうと考えられましたか。この仕事でのやりがいは。
特に記憶に残る仕事・現場がありましたら。
土木、建設業界で働こう、と考えたのは大学受験の時です。曾祖父の影響もあって、曾祖父のように土木で人の役に立ちたい、社会の役に立ちたいと考えたのです。そんな高尚な考えをもって入った大学では全く勉強しなかったですが。その気持ちを改めて私に思い起こさせてくれたのが会社に入って、田舎の小さな橋の開通式に参加した時のことです。その橋が開通することで、いままで遠回りしていた救急車などの緊急車両が来る時間が格段に早くなる、とあいさつされた人がいました。そうだ、これだ、私がやっている仕事のやりがいはそこだと。橋が開通することで、便利になるのはもちろん、人の命を救う手助けになるのだということを実感したのです。
特に記憶に残る仕事は、2つあります。1つ目は、小学校の近くの幅員の狭い橋の隣に歩道橋を架けた仕事です。小さな橋ですが、完成後に何げなく見に行ったら、小学生が歩道橋で立ち止まって川を眺めていたんですよ。それを見た時、子どもが川を安心して眺められる場所を造ることができたんだなって、すごくうれしかった。2つ目は、最近携わった、東海環状自動車道の一部である岐阜県本巣市に位置する、七五三(しめ)第一高架橋です。この橋は、設計から施工までメインで携わることができて、現場では20人近い社員と100人を超える作業員さんたちと、とにかく必死で施工して、完成させました。安全管理には徹底して厳しく注意していたので怖い監督と思われていたでしょう。多くいた外国人の作業員には、名前を呼んであげて指導していました。名前を呼ぶことで、話を聞いてくれるのです。社員も、作業員さんも、みんな仲良くて、チーム力で乗り切ってできた橋だと思っています。

女性に選ばれ定着する「土木」を目指し、次世代を育成するための「土木技術者女性の会」で役員をされていますが、その会はどういったことをしていますか。
ドボジョ(土木女子)の増を願うにあたり、リケジョ(理系女子)の学生に対して何かメッセージはありますか。
土石・木材・鉄材などを使って道路・鉄道・河川・橋梁・港湾などを造る工事を「土木」というのですが、これらのインフラ設備は男女関係なく誰でも使っているのにかかわらず、土木分野に従事する女性技術者の比率は2020年で5.5%にとどまっています。1982年に発足し、現在500名以上の会員がいるこの会は「土木を含む理工系分野に携わる人の男女比を50:50に」という大きな目標を掲げ、土木が女性の就職分野として選ばれるよう、小学生から大学生の次世代育成に注力しています。他にも土木界で働く女性技術者の知識向上、社会的評価の向上であったり、現実的な取り組みとして、女性技術者同士のはげましあい、女性にとって働きやすい魅力ある環境づくりを目的として様々な活動をしています。
確かに土木界で働く女性技術者は増えてきていますが、未だ男社会であることには変わりありません。私が社会人になった時には、女性が現場にでるのは“無理だ”という考えがありました。実際、坑内労働(トンネルや隧道)工事には女性は就けませんでした。能力などではなく、女性だから、という理由で女性がやりたいことができないのはどう考えてもおかしい。力のある女性もいるだろうし、小柄で力の弱い男性もいる。不器用な女性もいるだろうし、料理が得意な男性もいる。仕事も同じで、これは男性の仕事、これは女性の仕事というのはなくしたいです。リケジョの皆さんに伝えたいことは、やりたいことをやればいいです。自分が好きな道、やってみたいこと、なんでもチャレンジしてみてください。理系は男性の学問、なんてナンセンスな考えは思い込みなので、自信をもって飛び込んでいってください。
趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
昔から、野球観戦と読書、そして献血です。根っからのドラキチですが、最近は見に行っていません。お金を出して観戦してるのに気分が悪くなるというのが嫌だからです。読書は小さい頃から好きで、小学生の頃は図書館の本全部読んでやるぐらいの意気込みでした。サスペンス、ミステリー系が好きで、東野圭吾さんや辻村深月さんですかね。最近は『このミステリーがすごい!』(※2)で紹介された本を読んでいます。献血は母親の影響です。そこに大学のボート部の後輩が白血病で亡くなり、会社の同期も同じく白血病で亡くなったことで、社会貢献のためにもこれは一生続けようと決めたのです。現在197回で今年中には200回を達成します。献血する際、いろいろな数値を教えてくれるので、健康のバロメーターとも考えています。今はまっているというか、ゴルフを数年前に始めたので上手くなりたいなと頑張っています。
座右の銘は。
座右の銘とは少し違うかもしれませんが…「諦めたらそこで試合終了ですよ」という言葉ですかね。ちょうど、スラムダンク(※3)世代の真っただ中なので、スラムダンクの名言やちょっとしたセリフは心の支えであったり、自分を奮い起こす何かであったり、落ち着かせる何かであったりするのです。その中でも、この「諦めたらそこで試合終了ですよ」は、一番よく心の中に出てくるセリフです。設計、運行管理、交渉事や人間関係まであらゆることで挫折しそうになったときはすぐにこの言葉を思い出します。少し前の口癖は「まだ慌てるような時間じゃない」でした。先日も仕事の話をしている最中に、つい「まるで成長していない…」と言っていました。これもすべて、スラムダンクの中のセリフです。ゴルフの時に、どうしても利き手の右手のグリップが強くなるので、「右手は添えるだけ…」とつぶやいてクラブ握っています。本家、漫画では「左手」ですが。「シュートは左手を添えるだけ」という言葉からです。
滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえ、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
助言といういか、人は生きていくためには仕事をしなければならないですよね。どうせ仕事をしなければならないのであれば、自分がやりたいこと、楽しいと思えること、笑っていられること、を仕事にしてもらいたいのです。人生に正解はないですし、失敗してもやり直せばいいじゃないですか。私は、知らずに女性が少ない「土木」という世界に入り苦労もたくさんしましたが、技術士(※4)という資格を取得したことで世界が変わりました。会社での女性初の取得者として、社内的に見る目が変わりましたし、名刺にある技術士を見た周りの人の目も変わったのです。超難関の資格を取ったことで、つらかった男世界の職場が楽しいと思えるようになったのです。その資格が取れたのも、まさしく滝で過ごした6年間での勉強方法を思い出し、必死にやったおかげでした。滝学園で過ごした時間は皆さんの大きな財産です。自信を持ってください。失敗も成功も滝で過ごした日々もすべて皆さんの【大きな財産】です。スラムダンクでは「負けたことがあるということがいつか大きな財産になる」ですかね。迷った時、「今の自分は…お好きですか」に嘘をつかず、「大好きです!」と答えられる道を選んでください。
※1 プレストレスト・コンクリート(PC)橋梁 (Prestressed Concreteを略してPC)
プレストレスト・コンクリートという特殊なコンクリート材を用いた橋梁。この橋は、PC鋼材を使用することで、鉄筋コンクリート橋よりも大きな荷重に耐えられ、支間長(スパン)を長くすることが可能になり、大規模な橋梁建設に適する。特殊な技術を要するため、施工できるメーカーが限られ、国内ではこれに特化したゼネコンが工事に携わっている。
※2『このミステリーがすごい!』
1988年から宝島社で発行されている『別冊宝島』の本の一つで、ミステリーのガイドブック。
ミステリーに関心のある方は是非。 最新刊は↓
『このミステリーがすごい!2026年版』(宝島社) ISBN-13:978-4299073877
発売日:2025年12月5日価格:900円(税込)
宝島社『このミステリーがすごい!』大賞サイト https://konomys.jp/
※3『SLAM DUNK』(スラムダンク)
『週刊少年ジャンプ』に連載された、バスケットボールを題材にした井上雄彦による日本の漫画・
集英社刊。およびそれを原作としたメディアミックス作品の総称。
※4 技術士
文部科学省所管の国家資格(技術士法に基づく)、多様な業種でその高度な技術力が求められ、
建設分野に限らず幅広い分野で活動できる資格。建設コンサルタントをはじめ、官公庁の土木職や
プロジェクトマネジメントなど、管理・コンサルティングなどの場面において応用力が発揮される。
そのため、設計・施工だけでなく、計画・研究・開発・マネジメントなど様々な業務に従事が可能。
技術士の合格率は極めて低く、ゼネコンではキャリアパスの一つにも。
※「建築士1級」と間違える人がいるが、建築士は国土交通省所管の国家資格(建築士法の基づく)、
建物に特化し建築設計・工事監理を行うことで、建築物の安全性や品質を担保することが主な役割。
[プロフィール]
青木 治子 (あおき はるこ)
株式会社日本ピーエス
経営企画本部ビジネスイノベーショングループ グループ長
1977年12月 愛知県名古屋市生まれ
1996年3月 滝高等学校卒業
1996年4月 名古屋工業大学社会開発工学科入学
2000年3月 名古屋工業大学社会開発工学科卒業
2000月4月 株式会社日本ピーエス入社
2002年4月 株式会社日本ピーエス名古屋支店(現:中部支店) 設計部設計課
2008年4月 株式会社日本ピーエス名古屋支店(現:中部支店) 設計課主任
2012年4月 株式会社日本ピーエス名古屋支店(現:中部支店) 設計課係長
2014年3月 技術士 建設部門 鋼構造及びコンクリート 取得
2014年4月 株式会社日本ピーエス名古屋支店(現:中部支店) 技術施工課課長代理
2017年4月 株式会社日本ピーエス中部支店 技術グループ 課長代理
2018年6月 一般社団法人 土木技術者女性の会 中部支部長(~2021年5月)
2018年6月 東海コンクリート診断士会 理事(現任)
2019年4月 株式会社日本ピーエス中部支店 技術グループ シニアスペシャリスト
2023年3月 技術士 総合技術監理部門 労働安全コンサルタント(土木) 取得
2024年6月 一般社団法人土木技術者女性の会 企画広報局長(現任)
2026年4月 株式会社日本ピーエス経営企画本部 ビジネスイノベーショングループ グループ長(現任)
※プロフィールは、2026年4月25日時点の内容を記載しています。