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活躍する同窓生に学ぶ:小川久美子氏(星薬科大学教授)

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活躍する同窓生に学ぶ:小川久美子氏(星薬科大学教授)


「運と縁を大切に」~毒性学を通じて人の健康に貢献~

星薬科大学 薬学部毒性学研究室
教授
小川 久美子(昭和57年卒)

星薬科大学
https://www.hoshi.ac.jp/




星薬科大学といえば、SF作家・ショートショートでお馴染みの星新一の父・星一(はじめ)が創立した大学。その大学で、毒性学の教授として活躍する同窓生が在籍していました。今回は、小川久美子さんにお話を伺います。

現在、薬学部毒性学講座教授をされていますが、どんな内容のお仕事でしょうか。
 「毒性学」というと、皆さんはあまり聞きなれていないと思いますが、医薬品や化学物質などがヒトや生態系に与える有害な影響を明らかにし、その発現メカニズムやリスク評価、予防法などを研究する学問です。大学ではこの毒性学もですが、化学物質の毒性を理解して、安全に用いるための方針を決める衛生学や元々の専門の病理学、病気の時の身体に起こる分子的・形態的変化に関する学問ですが、それらに関する講義をしています。講義のほかには私の研究室に配属されている学生さんの指導をおこなっています。また、前職の国立医薬品食品衛生研究所時代からの、厚労省や農水省の審議会の委員やWHO(※1)、OECD(※2)の専門家会議等に参加したりしています。

星薬科大学本館と大学創立者の星一銅像。品川区なのに閑静な場所にキャンパスがある。

子どもの頃の夢は。
 父は、88歳で亡くなる半年前まで医院で開業医をしていました。私が子供の頃は、医院の裏木戸を叩く患者さんがいれば、たとえ深夜でも飛び起きて治療をおこなうような医師でした。そんな父を見ていたから、医師を目指そうと思ったのは間違いないですが、その父からは「医師になってほしい」というようなことは一度も言われたことがありません。ただ、「手に職をつけた方がよい」とは言われていました。それが暗に医師のことを言っていたのかもしれませんね。
 子どもの頃の夢といいますか毎週日曜日にCBC(TBS系列)で放送される『兼高かおる世界の旅』(※3)という番組が大好きで、兼高かおるさんに憧れていました。医師になるとかいう具体的な夢はなく、兼高かおるさんみたいになりたい、いつかこんな風に世界を旅してみたいと思っていました。

滝学園時代、どんな生徒でしたか。
 滝中学校から入りましたが、教室では先頭をきって何かするようなことはなく、みんなについていくような子でしたね。英語が苦手で、古田孝信先生にしみじみと「小川はもう少し英語ができたらなあ〜」と言われたことが印象に残っています。
 部活は、中学、高校と美術部に入っていました。顧問の藤川節子先生の影響で油絵を熱心に描いていました。描くことも楽しかったのですが、試験が終わった日に部室でみんなでトランプをしたり、いろいろな話しをしたことがすごく楽しかった。高2の学園祭の時に、美術部のみんなで本館のいくつかの窓にセロハン用紙で作ったステンドガラスの様な飾り付けをし、とても綺麗で嬉しかったこともよく覚えています。藤川先生には、とてもお世話になりました。「とにかく、本物を見なさい」と言われ、みんなで愛知県美術館などの展覧会によく行きました。また、どんな機会だったかは思い出せないのですが、「クミちゃんの言うことなら大丈夫だから」というようなことを言っていただきました。「好きなことをやればいい」とも。それらの言葉は、その後、いつも自信がない自分の大きな後押しになっていました。

いつ頃から、医師(医学部)の道に進もうと考えられましたか。
 父を見ていて、医師を一番身近な職業と感じていたとは思いますが、小学6年生の時、母方の祖母ががんで亡くなったことで、医師とかがんの研究ということを漠然と意識し始めたように思います。純粋におばあちゃんのようにがんで苦しむ人を救ってあげたいと思ったみたいです。実際、小学校の卒業文集に将来はがんの研究をしたいと書いていました。

大学は、名古屋市立大学医学部に進まれたわけですが、専攻科目とか進路を考慮して大学を決められたとか何か理由みたいなものがありましたか。また大学時代は、どんな生活でしたか。
 名古屋市立大学を選んだのは、入試の英語が簡単と誰かに言われたからだったかと思います。医学部を受験するのは決めていたので、何とか自分が受かる可能性がある大学、それなら英語が簡単という名市大、というのが選んだ理由だったと思います。大学でも美術部に入っていて、100号くらいの大きな油絵も描いていました。他大学の美術部とも交流がありましたね。他では、障害者問題研究会という社会派の活動に参加したことや、学外実習で、被爆者の方の話を聞きに行ったりしたことも印象に残っています。
 アルバイトは、家庭教師もやっていました。ただ、家庭教師は教え子の役に本当にたっているのか、週1回の授業でこんなにもらっていいのかなど疑問を感じながらやっていました。むしろ夏休みの短期のバーゲンセールの手伝いで1日中働いて少額いただくバイトのほうが、充実感があって楽しかったですね。

専攻分野を「病理」に決めるきっかけとなったことは何ですか?
 父の影響もあって、内科医か小児科医になれたらなと考えていたのですが、臨床科の入局説明会で「内科医は女子がなるのは無理」「女子はもう要らない」と言われてしまったことが「病理」に決めたきっかけになりました。そう通告され、悩んでいた時、今も尊敬している当時麻酔科で働いておられた津田喬子先生に相談したのです。そこで「病理」という選択肢があることを教えていただきました。病理とは、患者さんの体内から内視鏡検査等で採取した細胞を調べて病気の診断を行う医療分野。患者さんとは直接かかわることはありませんが、患者さんの背景に感情的にならずに、最も適切な診断をすることに注力できる縁の下の力持ちとしてのやりがいのある分野。病理医は患者さんの治療方針を決定するうえで最も重要な役割を担うのだよと教えてくれたのです。津田先生との出会いは大きかったですね。間違いなく、私の人生の転換点になりましたから。
 入局後は毎日顕微鏡を覗き、細胞に異常はないか調べていました。自分の診断で患者さんの人生が変わる責任の重みがどんどん大きくなっていくのが分かりました。その重みにもっとしっかり応えたいと思い、病理に関する専門性を高めるべく大学院に進学しました。第一病理学教室に所属し、発がん研究を行い、博士号取得後にアメリカのネブラスカ州立大学に留学。ポスドクとして膀胱がんを引き起こすp53遺伝子の異常などを研究していました。帰国後は名古屋市厚生院附属病院(現・名古屋市立大学医学付属みらい光世病院)で4年、名古屋市立東市民病院(現・名古屋市立大学医学部付属東部医療センター)で8年、病理診断とがん研究に従事しました。

国立医薬品食品衛生研究所での仕事はどんな内容でしたか。
 2009年、国立医薬品食品衛生研究所から研究職のお誘いをいただいたのです。名市大病理学教室の先輩方何名かがその研究所で部長を務められたということからの話だったと思います。この国立医薬品食品衛生研究所とは、医薬品だけでなく、医療機器、さらには化粧品、洗剤などの日用品、食品など私たちの生活環境に存在する化学物質、微生物を評価・研究する機関で、分野としては医学というより薬学に近い。名古屋市立大学での発がん分野の研究経験が生かせるところであり、当時、内閣府の食品安全委員会で専門委員として動物に残留した薬品成分の安全性評価にも携わっていたことから、その話を受けることにしたのです。研究所では、どれくらいの量であったら、ヒトが毎日摂取しても問題ないのかを決めるための試験を担当したり、発がん性があるかどうかを評価するための方法を開発するための研究をしていました。研究のほかには、厚労省や内閣府食品安全委員会、PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)等の関連する審議会の委員をしたり、WHOやOECDの化学物質の安全性や、医薬品の規制調和に関する世界的な枠組みを検討する会議に参加する機会をいただきました。

星薬科大学毒性学研究室にて・小川久美子教授
研究室にて・ゼミ生と

やりがいを感じたことがありましたら、お聞かせください。
 研究は、いろいろやらせていただきました。病理の診断で身につけた技術やスキルが安全性評価の手法とよく似ており、研究所での研究に大いに役立ちました。結論に至らず現職に来てしまった研究もありますが、後輩たちが引き継いでくれています。ありがたいです。我々研究者の成果物と言えば、論文になるのですが、以前出した論文が何かに使われたりすると、自分の研究が後々にも役に立っていくのだという実感がわいてうれしくなります。海外での学会発表等でも「重要なデータだ」と言ってもらえると、社交辞令とわかっていてもうれしいです。誰も手掛けたことのない分野で小さな知見を積み重ね、やがて多くの人を救う発見に繋がる。しかも研究結果は日本や世界の医薬品や食品、添加物の安全基準に影響するわけなので、責任の重さと同じぐらいやりがいを感じていました。

女性が仕事選びをするにあたって、どのようなことに気を付ければいいのでしょうか。
 私たちの頃は、「女性は要らない」と面と向かって言われたりする時代でした。ですから、男性以上に頑張らないと、と思うこともありました。今はそんな時代ではなく、その時その時の状況に合わせて柔軟に考え柔軟に対応する、それが許容される時代と考えています。ただ、女性が自分をしっかり生かせる場所を見つけるには、何か他のヒトにない強みを身につける方がよいと思います。私は、病理というあまり医師が進まない道を選び、毒性学という分野で知識、経験を得て、研究者としての強みを身に付けたのかもしれません。いろいろな偶然が重なって歩んできた道ですが、間違ってはいなかったのかなという思いが今ではあります。

趣味は何でしょう。
 中学、高校、大学と美術部に所属していたこともあって、趣味はまず美術鑑賞です。今は描くというより見る方ですね。東京には美術館が沢山あるので、是非行きたいのですが、まだあまり行けていません。旅行を妄想するのも好きです。兼高かおるさんのように世界中を旅したいのですが、不可能なのでネットなどで楽しんでいます。妄想だけでなく、実際に旅行にも行っていますよ。屋久島、礼文島など、美しい自然が守られているところが多いです。旅行も美術鑑賞同様、本物を自分の目で見て感じたいからです。やはりネットではなく、みんなが大事にしてきた自然であったり、建造物だったりを自分の眼で見る方が、ずっと良いですよね。

座右の銘は。
「運と縁を大切に」。
 努力だけではなんともならないことありますよね。偶然な出来事も結構かかわってくる。うまくいけばいいが、いかないことも多い。でも、最後は「自分が正しいと思えることをやる」ことができたら、それで良いのではと思っています。もっとも、自分が正しいと思えることを決めるには、いろいろな人の意見を聞いたり、調べたりしないといけません。人やモノとの出会いを率先して求め、縁を大切にすることで運も近づいてくれるのかもしれません。人の出会いの大切さ、おもしろさを感じたのがこの星薬科大学にくるきっかけになった出来事です。国立医薬品食品衛生研究所を定年になる年に出席したがん学会の帰り、空港までの電車で偶然、隣に座ったのが星薬科大学の学長だったのです。私が大学院生の時、短期間、勉強させていただいたがんセンターで知り合った先生が、大学の学長になられていたのです。そこで少しお話しをしたことが、今日に繋がっているのかもしれません。本当に不思議なものですね。

滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえ、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
 自分が知らない世界がたくさんあることを知るのは、とても楽しいことと思います。広い視野のもと、そんな知らない世界に踏み込んでほしい。失敗を恐れないで。もし失敗したとしてもやり直すか進路を変えればいい。失敗を含めたすべての経験が積み重なって今になっていくのだと思っているからです。他人と比べる必要はなく、その時その時を受け入れて少し行きたい方向に進む。絶対の正解はないので、自分がやってきたことが正解なのだと信じて一生懸命やればいいのでしょう。そうすれば、自分を受け入れても良いかなと思える日が来ます。自信をもって何事にも突き進んでください。

※1 WHO
世界保健機関(英:World Health Organization:略してWHO)は1948年4月7日に、すべての人々の健康を増進し保護するため互いに他の国々と協力する目的で設立された。

※2 OECD
OECD(英:Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構)は、経済成長、開発援助、自由かつ多角的な貿易の拡大を目的とする国際機関(本部はパリ)で、「共通の価値」を共有する38か国が加盟。OECDは、経済政策・分析、規制制度・構造改革、貿易・投資、環境・持続可能な開発、公共ガバナンスなど多岐にわたる経済・社会分野において、調査、分析、政策提言を行うことから「世界最大のシンクタンク」とも呼ばれる。

※3 『兼高かおる世界の旅』
本名:兼高ローズ(かねたかローズ)(1928年2月29日~2019年1月5日)は、兵庫県神戸市生まれの日本の女性ジャーナリスト(ツーリストライター)。『兼高かおる世界の旅』は、1959年12月13日から1990年9月30日にかけて30年10カ月の間放映された長寿番組であった。

[プロフィール]
小川 久美子(おがわ くみこ)
星薬科大学毒性学研究室 教授

1963年7月 愛知県岩倉市生まれ
1982年3月 滝高等学校卒業
1988年3月 名古屋市立大学医学部卒業
1993年3月 名古屋市立大学大学院医学研究科 病理学 修了
1993年4月 名古屋市立大学大学院医学研究科 第一病理学教室 助手
1993年12月 米国ネブラスカ州立大学医学部 病理微生物学 ポスドク(~1996年5月)
1996年6月 名古屋市立大学大学院医学研究科 実験病態病理学 助手
1997年4月 名古屋市厚生院付属病院 病理
2001年6月 名古屋市立東部医療センター 病理部 部長
2009年8月 厚生労働省 国立医薬品食品衛生研究所 病理部室長
2010年12月 厚生労働省 国立医薬品食品衛生研究所 病理部部長
2024年4月 厚生労働省 国立医薬品食品衛生研究所 病理部 主任研究官(シニアフェロー)
2025年4月 星薬科大学 毒性学研究室 教授(現任)

◆研究分野
実験病理学 / レギュラトリーサイエンス / リスク評価 / 化学物質影響 / 発がん / ナノマテリアル

◆所属学会
日本薬学会
日本毒性病理学会, 理事
日本毒性学会, 評議員
日本癌学会, 評議員
日本病理学会, 評議員
日本食品化学学会, 理事
日本がん予防学会, 評議員
日本免疫毒性学会, 理事
Society of Toxicology
American Association for Cancer Research
International Academy of Toxicologic Pathology

※プロフィールは、取材日(2026年5月15日)時点の内容を記載しています。