コンテンツへスキップ

滝学園同窓会オフィシャルサイト

養老孟司氏講演会「グローバル社会と個人の幸福」

土曜講座14周年記念 
養老孟司氏講演会「グローバル社会と個人の幸福」(2015/4/9開催)

 4月9日(土)、江南市民文化会館において、毎年恒例の土曜講座記念講演会が開催されました。土曜講座記念講演会は同窓会のご援助をいただき開催されているものです。厚くお礼申し上げます。
 本年お招きした講師は、解剖学者で東京大学名誉教授の養老孟司氏です。養老氏は1937年(昭和12年)神奈川県鎌倉市のお生まれです。1962年(昭和37年)東京大学医学部を卒業。1年のインターンを経て、解剖学教室に入り、解剖学を専攻されます。1967年(昭和42 年)医学博士号を取得。1981年(昭和56年)東京大学医学部教授に就任。東京大学総合資料館長、東京大学出版会理事長を兼任されました。1995年(平成7年)東京大学を退官し、翌年北里大学教授に就任。1998年(平成10年)東京大学より名誉教授の称号を贈られました。
 また、著作の分野では1989年(平成元年)『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を、2003年(平成15年)『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞を受賞されました。その他にも数多くの著書を出版されております。
 講演会では「グローバル社会」と個人との関係、「幸福」とは何かということについて、非常に示唆に富むお話をしてくださいました。以下が講演内容の概略です。(金児求先生、洞口涼先生にお願いをしました。)

■「グローバリゼーションと個人の幸福」の講演記録メモ

(1)「グローバリゼーション」とは
 「グローバル」とは、「いつでも、どこでも、だれにでも成り立つ状態」のことである。たとえば、車の普及のしかたはグローバルである。車は、世界のどこへ行っても同じように走っている。アジアで最も貧しい国だと言われることのあるラオスでさえ、車は走っている。また、「グローバル」の対義語は「ローカル」で、地域限定でしか通じない状態を指す。たとえば1970年まで鎖国政策をとっていたブータンという国があるが、鎖国というのは非常に「ローカル」な状態である。
 「ボルヘスの図書館」を例に、「グローバル」の意味についてもっと究極的に考えてみる。ボルヘスの図書館には、「A」のみが書かれた本、次に「B」のみが書かれた本、一文字ずつ書き表された本の次には「AB」、「ABC」…順番に、アルファベットを並べただけの本が並んでいる。途方もない数になるが、このようにアルファベットを全て並べてしまえば「この世のあらゆる事象は全て書き表されている」ことになる。西洋の言語は26字のアルファベットと数種類の記号のみで書き表されているからだ。ボルヘスの図書館には、アルファベットで表現可能な全ての組み合わせが納められているのである。だから「全ての本は既に書かれてしまっていると言っても良い」のであり、「世界中の本は、字を並べかえただけのものにすぎない」のである。もっと突き詰めて考えると、世界中のコンピューターの情報は0と1だけでできている。君たちの使っている携帯電話の中の画像などもすべてそうである。現在の世の中の情報は、とても単純である。グローバリゼーションとは、世界中を均質化し、いつでも、どこでも、だれにでも通じるような単純な情報に変えていくことだからだ。
 しかし、「ボルヘスの図書館」で自分にとって必要な本に出会う確率はほとんどゼロである。インターネットを使えばすぐに実感できることだが、この世の情報には無駄なものが非常に多く含まれていて、有意味といえるものを探すのはとても困難なのである。

(2)「意識」と「グローバリゼーション」
 「グローバリゼーション」とは、簡単に言うと「意識化」「脳化」、すべて「頭の中」化することである。この世の「正しい」「正しくない」などは、すべて意識があるから起きることである。頭で考えたように世界を作っていく、たとえば「名古屋へ行くのに歩くよりも便利な方法はないか」と頭で考えて電車を走らせる、「電車より自由に時間を気にせず移動できる便利な方法はないか」と頭で考えて車を走らせる、このように、世界を意識に合わせて変えていこうとすることを「効率化」「合理化」つまり「グローバリゼーション」と呼ぶ。そして、情報はすべてなんでも0と1になっていく。世界中で同じようなことをする「グローバリゼーション」の中では、怒ったり笑ったりする感覚は徐々に必要なくなっていく。

(3)「世界の均質化」と「人間らしさ」
 私たちは、暑ければ冷房で冷やし、寒ければ暖房で温め、暗ければ照明をつける。私たちの「普通にいる環境」というのは、時刻に関わらず明るさも温度も不変。私たちは「暑いから冷房を入れる」のではなく、根本では、「外部の変化に影響を受けることを嫌っている」のである。私たちの歩く地面は平らで、足下を注視せずとも歩くことが出来るのが普通だ。しかし本来の「当たり前の世界」では、足下はでこぼこで泥だらけである。毎日素材が変わる床なんてものも現代の技術なら実現できるだろうが、そんなものはどこにもなく、私たちは毎日同じ固さの平らな床を歩いている。それは、平らな床が楽で便利で合理的だと意識が言っているからだ。
 外の世界が全く同じになってしまうと、人間の脳みそは内に籠もってしまう。世界を均質化することは、外部からの刺激が無くなり感覚を使わなくなることである。
 人間の作り出した均質な世界は、アルゴリズム(論理計算)に基づいて動くシステムでできている。しかし社会全体がシステム化すると、かならず個人の人間性と噛み合わない瞬間が生じる。たとえば、人間を個人番号で管理しようとする。社会システムの中では、あの番号が私なのだろうか。私を誰だか知っているはずの銀行員にさえ、身分証明の提示を求められる。銀行というシステムのなかでは、私は番号で管理された別の「私」である。そういう時、僕は虫を捕りに行く。システム化された平らな床より気持ちがいいからだ。
 グローバル社会というのはシステムを強制する社会である。しかし、それが本来の世界だと思っていてはいけない。論理計算のもとに生まれてきた人間はいないのだから。

(4)中高生の皆さんへ
 人間の社会というのは本来、長い時間をかけてひとりでに完成するシステムである。それを文化、伝統と呼ぶ。長い時間かけてできあがった「ローカル」な日本の風土が、私たちには合っているはずである。グローバルな世界というのは、いつでも、どこでも、だれにでも通用する均質化された世界、単純な情報の寄せ集めである。しかし、皆さんは一人ひとり、ボルヘスの図書館の中の意味ある一冊だ。一人の人間であり、一つの人生を持っている。
 大事なものは、感覚である。感覚によって、脳は与えられた環境に順応する。ルールという環境、対人関係という環境、自分自身にさえも徹底的に順応する。医学的な実例で、脳は、「自分の脳が半分なくなった」という身体状況にさえ順応し補おうとする。だから皆さんはどんな変化にも対応することができるはずなのである。
 自分の考えていることが絶対に正しいと思うのをやめること。頭で考えていることを信用しすぎるな。信用できるのは自然の中で働くように出来ている「感覚」である。そして、人間の作ったシステムではないものをもっと見てほしい。雲でも虫でもなんでもいい、一日の中で必ずそういうものを眺める時間をとって、世界は人間が作ったものではないのだということを感じてほしい。

※本校の土曜講座も今年15 年目を迎えました。講師をお務めいただきました同窓生の方も多々おられます。ありがとうございました。  今年は年間7回の土曜講座の実施を計画しています。2020年度からの大学入試制度改革を視野に入れ、講座内容の一層の充実を図っていく所存です。同窓生の皆様におかれましては、今後とも引き続いて滝学園の土曜講座にご理解とご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

土曜講座主任 佐藤光則