コンテンツへスキップ

滝学園同窓会オフィシャルサイト

活躍する同窓生に学ぶ:伏屋正子氏(株式会社CBCラジオ 大阪支社長)

Home / 活躍する卒業生 / 活躍する同窓生に学ぶ:伏屋正子氏(株式会社CBCラジオ 大阪支社長)

活躍する同窓生に学ぶ:伏屋正子氏(株式会社CBCラジオ 大阪支社長)


「自分の畑を耕そう」
~放送を通じて心地よいときを作る~

株式会社CBCラジオ 大阪支社長
伏屋 正子(昭和63年卒)


CBC web【CBC公式ホームページ】
https://hicbc.com/



中部日本放送(CBC)といえば、1951年(昭和26年)日本初の民間放送としてラジオ放送を開始、1956年(昭和31年)名古屋初の民間テレビ局としてテレビ放送を開始、1966年(昭和41年) ザ・ビートルズ日本公演を主催した老舗放送局です。大阪支社で勤務されている伏屋正子さんが名古屋で開催中の「CBC 5チャン春祭り」に出展クライアント担当として来ているということで会場にてお話を伺いました。

現在、大阪支社でお仕事をされていますが、どんなお仕事をされていますでしょうか。あわせて入社以来どんなお仕事に携われたのかお聞かせください。
 日本最古の民間放送中部日本放送は2014年に認定放送持ち株会社へ移行し、そのタイミングで分社、株式会社CBCラジオへラジオ事業を継承、中部日本放送の社員は株式会社CBCテレビへ転籍となりました。現在私は株式会社CBCテレビ大阪支社営業部と株式会社CBCラジオ大阪支社を兼務しており、滋賀以西、関西から九州までのクライアント・広告会社を担当、営業として主にテレビ・ラジオのCMの販売をしております。入社以来一貫して営業部門、外勤営業として名古屋本社をはじめ東京支社、岐阜支社、大阪支社での勤務を経験して参りました。
 今は、名古屋・栄の久屋大通公園で3/19~23開催されている、「CBC5チャン春祭り」のイベント会場でクライアント対応などのため常駐しています。放送局には様々な仕事がありますよ。

久屋大通公園でイベント開催前のリハーサル
広告会社の方と打ち合わせをする伏屋正子さん

滝学園時代、どんな生徒でしたか。
 姉が通っていた岐阜大学付属中学の抽選に落ちてしまい、従姉が前年に滝高校に入学していたこともあって滝中学受験を決意。年明け1月から独学で1カ月半勉強して、なぜか合格しました。数々の危ない橋を渡ってきた私の人生の中でも飛び切り危ない橋で、もう一度やれと言われても絶対お断りします。
 母校笠松町立下羽栗小学校は音楽教育の盛んな小学校で、すでにトランペット、トロンボーンの演奏に親しんでいた私は入学式のステージドリルに一瞬にして心奪われ、迷わずブラスバンド部に入部しました。当時の滝学園では唯一中高一貫の部活動で、中1から高2まで5学年100人ほどの部員が在籍し、毎日楽しく演奏していました。一方、勉強のほうはというと、まぐれ入学したためか、数学がホントにダメで(笑)、5年間非常に苦労しました。5年間と、1年少ないのは高3時には「私立文系数学なしコース」にて皆さんより体育が一時間多い、数学をやらなくていい楽しい受験生生活を送ったからです。数学に関しては、滝学園名物「追試」の常連。この上英語やほかの科目の追試に追われたら楽器を吹いたり、帰りに寄り道したりする時間が無くなってしまう!と、天才的にできない数学以外はそこそこ頑張りました。とくに6年間教えていただいた浅野進先生の授業が面白く、世界史は大好きでした。英語は早世された大栗晴彦先生、国語はジェット〇ンタの石田雄治先生、百人一首の暗誦は堀西くに先生、受験英語は岸幹雄先生の徹底的な単語、熟語、唯一2年間担任していただいた亀井達雄先生のバイオテクノロジーこぼれ話、全て今の私のビジネスに必要な教養のベースです。恩師の学恩に感謝です。

大学は、やりたい専攻科目とか進路を考慮して学部を決められたとか、何か理由みたいなものがありましたか。また大学時代は、どんな生活でしたか。
 1986年に男女雇用機会均等はできておりましたが、昭和の終わり当時女性が生涯仕事をするなんてまず珍しいこと。私の家はそうでもありませんでしたが、私が育った岐阜の田舎にはジェンダーによる差別があふれ「どうせ女の子は」「女の子のくせに」ばかり言われておりました。女性が職業を持とうとしたら公務員、教員、有資格者という時代。テレビドラマ「赤かぶ検事奮戦記」に見はまっていた影響もあり、弁護士かなあ、と考え中央大学(略:中大)法学部法律学科に進みました。一昨年中大法学部は文京区茗荷谷、都会のど真ん中に念願の移転を果たしましたが、私が入学した昭和63年は多摩キャンパス移転10年目。多摩丘陵の4つの山を潰して造成したといわれる広大なキャンパス、多摩川沿いのクーラーもいらない涼しい気候での下宿生活は都心とはまた一味違ったもの、名古屋で言えば犬山か江南に住んでいるような感じで、家庭教師先のご家庭の温かさやバイト先の皆さんのやさしさは忘れがたく、今でも私は「出身は岐阜、第二の故郷は江南、第三の故郷は三多摩(※1)」と言ってはばかりません。中大法学部はゼミ、演習授業が重視されており、ゼミによっては厳しい入ゼミ試験を課す教授もいました。当時民法、刑法などはまだ改正前の漢文調「~スルヲ得ス」「~スルト雖モ」などの条文で、今一つ好きになれなかった私は新しい法律を求めて「私的独占の禁止及び公正な取引の確保に関する法律」いわゆる独禁法を中心とした経済法を専攻する、当時中大法学部最年少教授金井貴嗣先生のゼミに3年生、4年生の2年間お世話になりました。

いつ頃からマスコミで働こうと考えられましたか。
やりがいのある仕事は何でしょうか、特に記憶に残ることは? 
ワークライフバランスはどのようにされていますか。

 金井経済法ゼミは前述の通り、3年生、4年生2学年合同ゼミでしたので、私が3年生の夏合宿の時に、4年生の先輩方の就職先を聞きました。「来年の今頃自分はどうなっているのだろう」と、この時初めて就職が自分ごとになったといえます。当時の司法試験の合格率は現在の新試験の1/10の約3パーセント。当時の税率「消費税」とも言われていました。現役での合格は非常に難しく、しばらくの浪人生活は必定、その間の生活費などの手当てもあり別名「資本試験」などと揶揄もされていました。
 男女雇用機会均等法もでき、各企業が建前だけでも女性総合職を採用し始めているようだし、チャンスは新卒の1回、ひとつ就職活動というものをやってみようか、と企業研究を開始しました。アルバイト経験豊富だった私は、営業なら何とか人並にできるのではないか、と感じていました。1997年に男女雇用機会均等法が改正になるまではあくまで企業の努力義務との位置づけで、銀行、総合商社は女性総合職の採用は建前で実績はほとんどなし、メーカーか・・・ピンとこないなあ、と立ち寄った本屋の企業研究本「マスコミ業界」を何気なく手に取り読んでみると、難しいとされるマスコミの入社試験は私の得意分野、滝学園の6年間で培った教養、別名「雑学」でした。大学時代の親友の出身県は石川、青森、沖縄。名古屋エリアは日本の中でも都会なのだ、とこの時改めて気が付きもしました。時はバブル、普通の区内のマンションに2億~3億の値段が付き、東京で一人暮らしをしながら仕事をしていくイメージも中々わいてきませんでしたのでUターン就職を決意、第一志望は当時の中部日本放送、練習であと2局受験することにしました。ただしこの2局はあっさり落ちてしまいます。理由は「女性は営業に要らない」。とある局など「内勤ではだめですか?」と説得までされましたが「女性が営業してはいけない理由でもあるのですか?」と問うても返事はなく、次回の面接に呼ばれませんでした。後がない私はCBC受験に際して、3次面接くらいまでイベントなどを実施する事業部志望という事でやり過ごし、最後に「実は営業志望です」とカミングアウト。当時営業出身の社長だったためか、気に入られたらしく無事CBCに内定いたしました。
 入社は1992年(平成4年)です。弊社にはかなり以前に少しの間営業をしていた女性の先輩はいたようですが、新卒配属は初、名古屋の放送局では東海ラジオに2人、テレビ愛知に1人、同期の女性が営業として初めて配属された年でした。
 この仕事のやりがいは「新商品を売りたい」「イベントの集客をしたい」「会社に良いイメージを持ってほしい」などクライアントの要望のベクトルに、視聴者・聴取者に楽しんでいただく要素を乗せるところにあります。入社以来33年が経とうとしていますが、この「楽しい」空気の中で仕事をしてこられたことが現在55歳の私を形作る血肉なのだ、と思います。
 ずっと営業ですので、担当するクライアントの要望で様々なことを手掛けてきました。
ニュー・ヨークでのCMロケ企画、根津甚八さん、桃井かおりさんを起用したラジオドラマ、受験生を対象にした合格祈願イベント、アナウンサーと一緒に大正琴の演奏に挑戦、パーソナリティ同行国内外ツアー企画は30回ほど、1社提供中部8局ネット番組の企画などが思い出されます。勤務地も本社、東京、岐阜、大阪と4か所、売るメディアもテレビ、ラジオに加え今日のようなイベントもありますので組み合わせは無限大。多くの経験ができたと思っています。
 今日もご覧の様に休日出勤、会場内ではたくさんの社員が働いています。残念ながらワークライフバランスはほかの業界より進んでいないだろうと思います。私自身は後述しますように多趣味なので、心身の健康を保つためにもオフにはしっかりと切り替えています。

滝学園100周年事業のお手伝い
 いよいよ来年(2026年)に控えた母校の100周年ですが、滝学園同窓会100周年特別委員会に末席ながら私も参加させていただいております。
 テレビ・ラジオなどメディアを取り巻く環境は大変な変革期を迎えており、従来、テレビ・ラジオ局の社員は、放送とあまり関係のない仕事はしない、してはいけない、しようとすると止められるような環境でしたが今は違います。
 滝学園100周年に際しては、未来へ残す映像の制作を2年越しで諸先輩方と相談しながら進めています。ご期待ください。

趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
 小学校4年生の時に出会い、滝学園で打ち込んだ楽器の演奏ですが、高2で部活を引退した後すっかり離れてしまっていました。顧問の長谷川真澄先生の滝学園退任時、卒業生を集めて演奏会ができないか、と諸先輩はじめ私にも声がかかり「滝学園ブラスバンド部創部50周年記念演奏会」を2010年に開催。その時思わず楽器を買ってしまったことや、すぐに起こった東日本大震災の慰問に自衛隊音楽隊などが駆けつけて演奏する姿を見たりするうちに、また演奏がしたくなり、41歳で市民楽団に入団。以来14年、転勤、休日出勤などの間隙を縫って今も演奏は続けています。読書も子供の頃から長く親しむ趣味のひとつ。ノンフィクションばかり読んでいる時期もありましたがコロナ禍で時間ができたことで多作の作家、山崎豊子、松本清張などを読破。それでもまだ時間があったので光文社文庫世界文学の新訳でカラマーゾフの兄弟にもチャレンジしましたよ。このシリーズの新訳はとても読みやすいので皆さんにお勧めです。ほかにも料理が好きで後輩や取引先を自宅に招待したり、希望があれば教えたりもしています。自宅で女子アナ料理教室をやっている、と広告会社で話したらそのまま番組になったこともありました。

職業、年齢も様々な楽友と


座右の銘は。
 20世紀を代表する音楽家レナード・バーンスタインの舞台作品「キャンディード」。
組曲は難曲ですが演奏して楽しい曲でもあります。その終曲のタイトルをあげたいと思います。
 ヴォルテール作のこのお話は18世紀、条約で有名なウエストファリアに生まれたキャンディード(小説ではカンディード)がヨーロッパのみならず南米まで冒険、荒唐無稽な様々な経験をし、手元に残ったお金で最後に土地を買う。終幕に全員で歌う曲が「Make our garden grow.」
Gardenはここでは畑です。「自分の畑を耕そう」
 人はそれぞれの分に応じ、なすべきことをなさなければならない。キャンディードほどではありませんが、岐阜から始まり、江南、東京、名古屋、東京、岐阜、東京、大阪と私なりの冒険をしてきました。あと数年で定年となりますが、気力・体力が続く限り自分の畑を耕し続けていけたら、と思っています。

滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえで、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
 滝中学のキャリア授業でも同じ話をさせて頂きましたが、自分の人生の歩き方は自分で決める、「人生の歩き方」は本屋に売っていませんからね。私は試験や面接のアドバイスを求められるといつも言います。
「自分の中にあるものは全部出せ、ないものは出ない」
「自分の中にあるもの」を増やすべく勉強なり読書なり映画でもPodcastでも何でもいいです。若いうちはできる限りのインプットが重要です。「自分の中にあるもの」を増やしていければ、自ずと行く道は見える、そんな気がします。

※1 三多摩(さんたま)
東京都西部の呼称。名称は、西多摩、北多摩、南多摩の三つの郡名が由来。

[プロフィール]
伏屋 正子(ふせや まさこ)
株式会社CBCラジオ 大阪支社長


1969年12月 岐阜市生まれ
1988年3月 滝高校卒業
1992年3月 中央大学法学部法律学科卒業
1992年4月 中部日本放送株式会社入社
1992年7月 中部日本放送株式会社営業局企画3部
1996年7月 中部日本放送東京支社ラジオ部
2008年7月 中部日本放送営業局営業部 
2012年4月 株式会社CBCラジオ営業部
2014年7月 株式会社CBCテレビ岐阜支社長
2019年7月 株式会社CBCラジオ東京支社長
2023年7月 株式会社CBCラジオ大阪支社長(現任)兼 株式会社CBCテレビ大阪支社営業部(現任)

※プロフィールは、取材日(2025年3月23日)時点の内容を記載しています。