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滝学園同窓会オフィシャルサイト

活躍する同窓生に学ぶ:江口幸雄氏(愛知県副知事)

地方自治を通じて愛知県の魅力を発信~真実は細部に宿る~

愛知県副知事 江口 幸雄(昭和58年卒)

愛知県ホームページ
https://www.pref.aichi.jp/

滝学園時代、どんな生徒でしたか。また、部活は何をされていましたか・・・・・。
 1977年(昭和52年)、滝中学校に入学。名鉄柏森駅のほぼ前にある自宅から中学校に通う場合、自転車で滝中学校に通うのが最も便利という単純な理由で滝中学校を選びました。駅のほぼ前にあるなら、電車で江南駅(当時は古知野駅)まで行けばいいのではと言われましたが、駅から学校まで歩くのがいやだったのです。
 中学校では、サッカー部で楽しく過ごそうと考えていたのですが、サッカー部は練習が厳しく、すぐに辞めて、それほど活動が活発でない部活を探して、生物部に入りました。だからというわけではないですが、生物部の思い出はまったくないのです。記憶に残っている先生は英語の栗本先生と数学の桜井先生ですね。お二人ともすごく熱心な先生で、授業の進め方、課題の出し方などが印象に残っています。あと、あまり関係ないかと思うのですが、化学の江口先生。先生はちょっと体重の重い方でしたので、あるニックネームで生徒から呼ばれて親しまれていたのですが、たまたま名字が同じということで、私も同じニックネームに。「おいおいっ」と思ったのですが、人柄の良い憎めない先生だっただけに、まあいいかと。
 滝高校に進学して囲碁部に所属。ここも、何か入らないといけないが、体育会系でなく、入っても無理やり参加させられない部ということで選択。それなりに楽しく過ごしました。大学でも続けていましたから、基本的に好きなんでしょうね。大会に出ようという意識もなく、陣取りゲームとしての囲碁を純粋に楽しんでいました。滝高校での記憶に残る先生と言えば数学の青山先生です。追試により生徒を鍛える方針の先生で、生徒に勝負強さを身につけさせるためというものでした。仰ることはごもっとも。それで青山先生を覚えています。
 最も記憶に残る先生は、高3の担任だった国語の原先生ですね。父親が進路相談で先生を訪ねた際、父親が言ったそうです。「息子は東京へ行きたい、と言っている。父親として水を飲んででも息子を東京の大学に行かせてやりたい」と。この言葉に感銘を受けたのか、翌日、先生から「良い父さんだなあ」と言われたのです。この場面をよく覚えていて、これが滝学園時代の一番の良い思い出になっています。様々なイベントが楽しかったという人が多いと思いますが、私はそういったことに楽しみを見出せませんでした。また、金八先生が流行っていたのですが、あんなドラマみたいに、思春期の子どもが「先生、先生」と言うわけがないだろうとも。学校生活、学校風土などに対しあまり親しみをもてませんでしたが、今から思うと、そこが滝学園のいい点でしょうか。懐かしくさえ思えます。

愛知県職員として奉職しようと思われたきっかけは何ですか。
 東京の大学に行くという信念のもと、勉強していましたが、共通一次試験の点が伸びなかったことから、国立大学は諦め、中央大学の法学部に進学しました。法曹界に進もうと、それなりの勉強はしていましたが、学部が八王子市に移っていたことでちょっと郊外すぎてやる気がそがれてしまった。司法試験に向けての法律を学ぶ環境としては賑わいのある混とんとした都会が一番で、自然の多く残る環境は司法試験のための勉強には向いていないと思ったのです。研究する場としては、こんなに良い環境はありませんが、法曹を目指す学生にはどうかと思いました。司法試験には論文試験があるため、試験に受かるためには、文章力が何より必要だったわけですが、文章を書くのが苦手だったこともあって、司法試験を諦め、卒業後の方向は国家公務員へと目標を変更しました。いろいろ今は言われていますが、当時、まだ日本は人口増加、成長過程で官僚が様々な施策を立案しているという時代でした。国家公務員試験、当時は国家公務員第Ⅰ種試験(今でいう総合職)でしたが、筆記試験に合格してもそれは採用候補者名簿への登載に過ぎず、採用には各省庁の面接を受けて採用に至る必要がありました。当時、国家公務員の法律職は各省庁が個別に面接などを行っており、各省庁あわせて200人ほどの採用だったと思うのですが、私立大学出身者は筆記試験に合格しても、各省庁には大学の先輩が少ないことから情報量も少なく限られており、結果として採用までたどりつくことは結構困難、そういう時代でした。筆記試験で相当上位に入らないと、私大出身者にとっては本当に厳しい時代だったと思います。地方公務員も当時人気の高い職業でして、愛知県庁の採用試験も受けていました。当時の鈴木礼治知事が様々なプロジェクト・構想を描いていた愛知県の方が楽しいことができるんじゃないか、国の省庁だと基本的にその省庁で役人人生を過ごすわけですが、県だとより住民に身近な立場で様々な仕事に携わることができると思い、愛知県庁に入ったのです。

愛知県庁本庁舎「正庁」

県職員になられて、どんなお仕事をされてきましたか。
 1988年(昭和63年)に入庁。最初は総務部文書課(現在の法務文書課)に配属され、県の条例、規則、告示等を公示(県民の皆さんに周知する手続き)する愛知県公報を作っていました。これは条例等の効力発効につながる大変重要な仕事です。その次は地方課(現在の市町村課)に配属され、市役所、町村役場等、市町村行財政への助言等を行っていました。当時、地方課(現在の市町村課)は若い職員も多く、大変人気のある職場でした。県庁の仕事としては地方公共団体の行財政の最前線といった部署でしょうか。当時愛知県内の市町村は30市58町村で88の市町村があり、それぞれ地域的状況、財政状況が異なっており、市町村行財政を経験させていただいたことはその後の役人人生に大変良いことだったと思います。その後、財政課に配属され、予算編成、財政運営の仕事をしました。バブル崩壊後は税収が激減しており、1998年(平成10年)愛知県は戦後初の赤字決算に陥ったのです。同様に東京都、大阪府、神奈川県も赤字またはそれに近い状態になっていたと思います。社会の高齢化が進み、社会保障経費が増加し、それまでに発行した起債の償還もあり、歳出が大きく増えました。税収等の歳入が減っても、行政サービスの低下は避けなければいけない。過去に積み立てた貯金である基金を財源にして、何とか行政サービスを維持していました。そういったやりくりが続いて、とうとう貯金が無くなってしまったわけです。平成9年、愛知県への万国博覧会誘致が決定した翌年(平成10年)のことで、赤字財政のなか、空港や万博を滞りなく成し遂げられるにはどうしたらいいのか、厳しい日々を過ごしました。その後厳しい歳出改革を実施し、財政赤字を黒字転換させました。その時の苦労は相当なものでしたが、平成17年(2005年)に中部国際空港がオープンし、万国博覧会が愛・地球博として大成功のうちに終了したときは感無量でした。
 そんな時、地方公共団体を取り巻く環境は激変していました。地方分権の推進として小泉純一郎首相が三位一体の改革を打ち上げました。具体的には国庫補助金改革、税源移譲による地方分権と、地方交付税の削減による財政再建をセットで行うこととした点が特色の改革でした。愛知県も当時の神田真秋知事が熱心に取り組まれ、全国知事会等に三位一体の改革に向けての愛知県の具体的な提案を行いました。政府の三位一体の改革にも、愛知県提案は大きな影響を及ぼしたと今でも思っています。
2015年(平成27年)まで19年間財政課に奉職し、愛知県の財政運営に全身全霊を捧げました。

愛知県について、知っていてほしい・学んでほしいことは、何ですか。
 今日本が直面している大きな問題は、人口減少問題です。2070年、日本の人口は8700万人に減少すると言われています。毎年、60万人相当の人口が減少していく。人口が減少すると必然的に納税者数が減少し、税収も減少傾向となる。人口減少という問題は容易には止められず、愛知県でも人口減少が生じはじめています。愛知県の人口は2019年度の約755万人4千人をピークに4年連続で減少し、2023年には約748万1千人。自然増減は7年連続で減少しており、2022年との比較では約3万人の減少。一方、社会増減は2年連続で増加しており、1万3千人の増加。それを少しでも緩和させる対策を愛知県でも取り組んでいます。大村秀章知事のリーダーシップのもと、さらに愛知県の魅力を探し、作り、それを発信する取り組みを様々進めています。愛知県の魅力は、港湾・空港に加え、高速道路等の高度に発達した道路網があり、物流面で秀でています。2024年(令和6年)10月には、名古屋市鶴舞公園南側に開業(予定)の施設・STATION Ai(※1)で、スタートアップの創出・育成やオープンイノベーションの促進を行い、新たなテクノロジーとの出会いや様々な交流が生まれることを目指します。更に観光の魅力として、まずはジブリパーク(※2)です。「TIME」誌が2023年版「世界の最も素晴らしい場所50選」に京都に加えて名古屋を選出した大きな理由は、(明確ではありませんし正確には分かりませんが)このジブリパークではないかとの話もネットでは言われていたようです。そしてスポーツ関連でいけば、アジア大会・アジアパラ大会の開催ですね。2026年(令和8年)開催に向けて、現在、全力で全庁をあげて取り組んでいますが、世界に発信する大会として、愛知県の魅力とともに伝えたいと思っています。

趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
 趣味はこれといったものはないのですが、ゴルフ、囲碁、マラソンなど何でもかじっています。今、はまっているのは、これは趣味と言えるかどうかわかりませんが、地方財政、地方公共政策の研究です。様々な研究会に顔を出し、研究者の方と語り合ったり、発表をしたり、シンポジウムに出席したりしています。愛知県というのは高等学術機関を含めて東京圏、関西圏に比較して地方自治というか公共政策の集積が薄いのが実情ではないかと思い、それを何とかしたいという思いもあります。県・市町村等が持っているものを有効にストックすることでずっと先まで残していき、将来の課題解決に役立てていきたいのです。

座右の銘は。
 「感謝」。そして「真実は細部に宿る」。
新入社員の中には、若いうちに大きい仕事をやらせてほしいと言う人もいますが、細かい仕事ができない者が大きい仕事などできない。「何事も細部までこだわり抜いて、心を込めて完成度を高めるよう行わなければならない」という戒めの言葉です。組織の中の一番小さい単位、そこがしっかりしていないと組織全体がぐらついてしまう。ということもこの言葉は伝えています。

滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえ、さらには、生きてゆくうえでの助言がありましたら。
 今後の日本社会は人口減少、厳しい財政状況といった縮小社会と技術革新・イノベーションが柱となってきます。昔はプラスアルファの考えでよかったのが、これからはそうはいかない。どちらかと言えば縮小傾向です。縮小社会ではある意味、「選択と集中」とならざるを得ない。選択と集中の時代は、学んで考えて方向性を決めることが必要で、それにはずっと勉強をしなければいけない。その上で大切なことは、学んだことをあとに残していかないとあまり意味がないということです。学んだことをしっかり残し、あとに続く人がそこから社会の課題解決につながる手法を発見する、そういった好循環が必要なのです。
学ぶこと、勉強って本当に楽しいですよ。考え、学び、その過程で様々な考えをもった人、学者、コンサルタント、経営者、起業を目指す人にとどまらず町おこしにたずさわる人等、様々な分野の様々な意見・考えを持った人に出会えることが楽しいんです。「選択と集中」の時代と言いましたが、学び続けることで、皆さんが今後幾度となく直面する人生の選択をより良い方向にできるのです。
一生、学びの連続です。

※1 STATION Ai
愛知県勤労会館の跡地に、愛知県がスタートアップ中核支援拠点として整備する施設。
所在地:名古屋市昭和区鶴舞1丁目201
※2 ジブリパーク
愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内に作った、スタジオジブリ作品の世界を表現した公園。
所在地:長久手市茨ケ廻間乙1533-1

[プロフィール]
江口 幸雄(えぐち ゆきお)

愛知県副知事

1964年7月 愛知県丹羽郡扶桑町生まれ
1988年 中央大学法学部卒業
1988年 愛知県庁入庁、文書課(現・法務文書課)
1990年 地方課(現・市町村課)
1997年 財政課 以後財政課で19年間勤務
2016年 総務部財産管理課長
2017年 総務部市町村課長
2018年 総務部総務課長
2019年 総務局総務部総務課長(組織再編により部局制から局制へ移行)
2020年 総務局総務部長
2021年 議会事務局長
2022年 総務局長
2023年 副知事

※プロフィールは、取材日(2023年12月18日)時点の内容を記載しています。

愛知県庁にて・江口幸雄愛知県副知事と大西同窓会長