生活の中にある体調に関わる医師に

国立病院機構東京医療センター 内科医長
尾藤 誠司(昭和59年卒)

WEBサイト「うまくいかないからだとこころ」
http://umakara.net/

 一宮市浅井町の出身です。講演などでは最初に「実家は病院ではなく美容院です」というボケからスタートしています。滝歴は「内普」だったので6年でしたが、理系クラス全生徒の中では下から1/4くらいの席次でした。能力は理系だったのですが志向が文系なので、なかなか将来像がわかなかったのですが、医療職ってなんか志向は文系、思考は理系だよね、と発見したのと、高3の春に衝撃的にフィットする参考書に出会って何とか岐大医学部に入ることができました。ただ、入ってみたもののやっぱり医学部の授業って全然面白くなくって、また落ちこぼれに。このまま象牙の塔の中に入るときっと死ぬなと思ったので、卒業して初めて実家を出て、長崎の研修病院に飛び込みで就職しました。


 就職時には医者にあまりいいイメージを持っていなかったのですが、働いてみたらもうめちゃくちゃ楽しいしやりがいがあった!さらにその年雲仙普賢岳の噴火があり長崎が被災したこともあっていろいろ思うことがありました。そのころ、一般的な医者のサクセスコースは、博士号とって専門医とって論文書いて大学病院で超専門的な領域を極める、みたいな感じだった(まあ今も大きくは変わってない)のですが、そういう医者のイメージには興味がありませんでした。病気って、生活と切り離せないと思っていたし、医者の目から見て「病気じゃない」(たとえば、がん細胞はないですよ的な)としても、本人から見たらからだのことでめちゃつらいみたいなことはいっぱいあるわけです。英語でいうなら、一般的な医者は「disease」としての病気に興味があるのですが、自分は「illness」としての「病い」に興味があるんだと見つけました。
 今も、特定の専門を持たず「医者」として32年仕事をしています。なんだかんだで時代が追い付いてきて「総合診療」という新しい専門領域や教育のしくみも出てきました。今はさらに未来を見据えています。「うまくいかないからだとこころ」とともに生活するサピエンスたちになんかちょっかいかけられるといいと思っています。AI時代において、偏差値を規定していた「問題解決能力」のほとんどは機械にアウトソーシングされます。そんな近未来を、滝学園生はどう生きていくのか、楽しみにしています!