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活躍する同窓生に学ぶ:玉置国大氏(松竹株式会社 ゲーム事業室プロデューサー)

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活躍する同窓生に学ぶ:玉置国大氏(松竹株式会社 ゲーム事業室プロデューサー)


「自分の好きに素直に生きる」~エンタメを通じてこころのお薬を提供~

松竹株式会社 事業開発本部
イノベーション推進部
ゲーム事業室プロデューサー
玉置 国大(平成19年卒業)

松竹株式会社
https://www.shochiku.co.jp/

SHOCHIKU GAMES
https://game.shochiku.co.jp/ja/




松竹と言えば、映画『国宝』の影響もあり、歌舞伎と思われる方も多いはず。2025年に創業130周年を迎えた会社で、新規事業・ゲーム事業に取り組む同窓生が在籍していました。今回は事業開発本部イノベーション推進部の玉置国大さんにお話を伺います。

現在、松竹㈱でお仕事をされていますが、どんなお仕事をされていますでしょうか。併せて入社以来どんなお仕事に携われたのかお聞かせください。
 松竹は4つの事業を柱としています。歌舞伎、演劇などを担当する演劇事業、映画やドラマ、アニメなどを担当する映像事業、自社の劇場や映画館、ビル賃貸などを担当する不動産事業、そしてその他の関連・新領域事業です。創業が1895年という歴史ある総合エンタテインメントの会社が松竹です。
 現在私がいるのはイノベーション推進部です。新規事業や技術革新を推進する部署で2019年に立ち上がりました。古くからエンタテインメントを提供する会社として新しいエンタメを創造するということにも挑んでいく松竹の姿勢を示す部署でもあります。そんな部門の中で2024年に新たに立ち上げたゲーム事業室に身を置いて、主にプロデューサーとしての仕事をしています。海外のゲームを日本にもってきて、日本のユーザーさんが楽しめるように全体をプランニングして、ローカライズやマーケティングをしたり、日本の声優さんの吹き替えをディレクションするなどクリエイティブにも関わります。逆に全世界へ向けて販売予定の日本のゲームタイトルを担当したり、他にも自社でゼロから新たなゲームを企画開発することもしています。
 2013年に松竹に入社して最初は弊社の直営劇場である京都四條南座の監事室、次に新橋演舞場の監事室に勤めました。監事室というのは松竹独特のもので、劇場客席後方にあるガラス張りの部屋のことを指すのですが、舞台の上演中はクオリティのチェックであったり、トラブルに備えてその部屋にいます。そのほかに舞台や出演俳優・スタッフの皆さん、大道具や機材に関する様々な事柄の手配・調整・予算管理などを幅広く行います。大変な仕事でしたが、現場制作の勉強にはすごく役立ちました。

子どもの頃の夢は?
 子どもの頃の夢は虫博士でした。物心ついたころから網を振って蝶々をおいかけていました。小学生で岐阜の名和昆虫博物館の会員になって、毎週末通って標本を作ったり、昆虫採集に明け暮れていました。ギフチョウを発見した名和靖先生が設立したことでも有名な名和昆虫博物館ですが、私も自宅でギフチョウを育ててふ化させたり(※現在は禁止の自治体も多い)、世界各国のクワガタやカブトムシも育成していました。昆虫の中でも蝶が大好きで、今でも飛んでいる蝶を見れば、どんな種類なのか、雄なのか雌なのかまでわかります。滝中に入学して、生物部に入りました。佐分利先生が顧問で、当時の生物部はすごく活発な活動をしていて、離島の沖永良部島まで昆虫採集に出かけたりしていました。何しろ当時は虫博士になるのが夢で、大学進学に関しても、虫の研究で有名な京都大学農学部に入ろうと心に決めていました。滝に入学したのも、滝高校が京都大学の合格率が高かったからです。

滝学園時代、どんな生徒でしたか。
 滝中時代は、休日に生物部で虫に関わる活動をするか、平日の放課後は学校近くにあったバッティングセンターのゲームコーナーでゲームざんまい。そんな日々を過ごしていました。格闘系や音楽系、あとはカードゲームやオンラインゲームをひたすらやっていました。虫とゲーム、いわゆる“オタク気質”でしたね。それが滝高校にはいってガラッと変わりました。きっかけは、中学3年生の時、友だちから、高校では演劇部に入るので演劇部の歓迎会にいっしょに行こうと誘われたことです。そこで見た演劇に無茶苦茶感動し、こんなおもしろいものがあるのかと、演劇の魅力にはまりました。演劇部に入って、演者もしましたし、時には裏方など演劇に関するあらゆることを経験しました。わざわざ東京まで舞台を観に行ったりと、滝高校の3年間は演劇一色でしたね。虫博士になりたいという夢はいつのまにかどこかに吹き飛んでいました。
 滝学園時代で一番にお世話になったというか、大好きな先生が田口博章先生です。中学1年と高校2年、3年の担任の先生でした。滝中に入ったものの、成績は特に良いわけでなかった私に、先生は常に「玉置はやればできる」と言い続けてくれました。私のことを否定することなく、頑張れと応援してくれた。そのうちに、やればできるという精神が自分の中に刷り込まれていった気がします。「やればできるのだから、まずはやってみよう」というポジティブな人格形成につながったのは田口先生のおかげです。おおげさでなく、田口先生は私の人生のキーポイントになった人だと思っています。

大学は、やりたい専攻科目とか進路を考慮して学部を決められたとか何か理由みたいなものがありましたか。また大学時代は、どんな生活でしたか。
 滝高校3年生では理系の医・歯・薬系コースにいたので、進学もその流れで考えていました。虫博士の夢が遠くなった当時は、そもそもやりたいことが分からず…『13歳のハローワーク』(※1)を読んでも、やりたいなと思った仕事がひとつもありませんでした。ただ、小さいころから体が強いほうではなかったので、人を健康にすることには興味がありました。薬学部を選んだ理由はそこが大きかったかなと。その当時は大好きな演劇に関する仕事をしたいとは思わなかったですね。あくまで演劇は趣味として全力で楽しみたかった。なので、演劇が盛んな東京に行くことが絶対だったため、目指すなら東京の大学とは決めていました。
 大学生になっても、なんでもやってやろう、思いついたらやってみよう精神は健在で、いろんなことをやりました。内部のサークルだけでなく、外部の学生団体に所属してイベントなどを企画・運営、劇団も立ち上げました。演劇を見つつも、アニメや漫画、二次元アイドルにもはまっていました。バイトもディズニーシーのキャストをして、エンタメ系で日々楽しんでいました。

就職を含めた進路については、どのように考えられましたか。いつ頃からエンタメ業界(松竹㈱)で働こうと考えられましたか。
 就職先を考えたときは、6年も勉強し、薬剤師の資格もとるのだから、それをいかした仕事をと考えていました。病院や薬局、製薬企業の開発職などです。薬剤師として働いて、休日は趣味のエンタメを満喫しようと。ある時、ふとエンタメ系の会社の新卒募集要項を見たら、全学部の学生がエントリーできると書いてあって。エンタメ系会社は文系の学生しか採用しないと思っていたので、その会社の人事部に直接電話して確かめてしまった。その瞬間からエンタメを仕事にするのもいいかなと思い始めました。人を健康にしたいという思いで薬学部を選んだので、それから言えば、エンタメも人の心を元気にする、健康にするなと考えたんです。方向性をそちらにかえて就活をしていったら、薬剤師というのも珍しがられて、広告代理店、出版社、音楽系会社など数社から内定をもらいました。その中で松竹を選んだのは、松竹ならどこの部署にいっても自分の好きな種類のエンタメに末永く関わっていられる歴史ある企業と考えたからです。それに面接官をはじめ松竹の社員と話をしていると、何か波長が合うなと感じたのも松竹に決めた大きな理由です。企業風土や雰囲気、人が私にすごくあうと感じました。

やりがいのある仕事は何でしょうか、特に記憶に残ることは?ゲーム事業室のこれからの目標などありましたら。
 入社して12年がたちますが、その間、最も記憶に残る仕事は、劇場時代のことです。ある舞台作品の現場担当だったのですが、本番直前に大きなトラブルが発生して…各部署に頭を地に着くほど下げながら、調整をしてまわりました。現場は昔気質の人が多く、怒鳴られることも度々。現場の疲弊は限界を超えていて、自分の心も折れかけていました。もうこれはしんどすぎる、次はできない、もう今回でこの仕事辞めようと思ったのは間違いないです。幕を開けられるか心配した初日はスタッフやキャストみんなの頑張りのおかげで何とか間に合いました。その初日のカーテンコールでのことです。お客様の拍手、歓声が鳴りやまなく、それは今までに聞いたことのない、劇場を揺るがすほどのものでした。そのお客様の熱量を目の前で感じて、自分もむくわれた気がして、もう少しだけこの仕事続けてみようと思い…今に至ります。自分が担当した作品にお客様から反応をもらえた時がいちばんうれしいですし、やりがいを感じる時でもあります。
 ゲーム事業室では、舞台とは異なり、ゲームをプレイしているお客様の反応を直接見る機会は少ないです。それでも、前述の経験から「このゲームの場面ではどういう感情になってもらえるかな」とお客様の反応を常に考えながら今の仕事をしています。弊社のゲーム事業室の意識はグローバル志向です。世界的に大きな市場であるパソコンゲーム市場をメインにねらって、ゲーム事業室は日本だけにとどまらず、世界で評価されるゲームをパブリッシング、および新規開発していきます。日本の皆様はもちろん、世界中の人たちも楽しんで喜んでいただける、いつか“伝統文化”にもなりうるエンタメを提供したいと考えています。

eスポーツのゲーム大会にて

趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
 趣味といいますか、ラーメン二郎が大好きで、というか好きすぎて、学生時代には店の近くに引っ越ししました。マンションの上から店の様子を見て、すいているようならすぐに駆け付けていました。ラーメン二郎を名乗ることができる直系の店には、札幌、仙台、京都など遠方にも足を運びました。名古屋(名古屋大曽根店)にもできたということで、帰省の楽しみができました。
 日本酒にもはまっています。モダン系の日本酒が好きで、最近の一番は秋田の新政酒造の「No.6(ナンバーシックス) Xmas-Type 2025」というお酒です。この酒蔵が発祥となる6号酵母の魅力が詰め込まれた微発泡性の極めて透明な生酒で、まさにクリスマスに飲む最高峰のスパークリングワインのような味わいでした。今飲みたい日本酒が「WHITE 射美(いび)」です。岐阜の日本一小さい酒蔵の杉原酒造が作っているのですが、生産量の少なさに加え、人気が高いことでなかなか手に入らない逸品です。
 サウナも好きで、新しいサウナができれば、全国出かけていきます。ほかには、DJを趣味としてやっています。ポップカルチャー関連のイベントで回していて、このあたりは仕事に繋がったこともありますね。

趣味としてDJ

座右の銘は。
 座右の銘ではないのですが、モットーにしている言葉があります。
「自分の好きに素直に生きる」
です。影響されやすく、好きになったらすぐに始める。今までもそうしてきた自分がいます。小さい頃は特に漫画の影響が大きく、『テニスの王子様』(※2)からテニス、『ヒカルの碁』(※3)から囲碁、『スラムダンク』(※4)からバスケットボールを始めました。続くかどうかは関係なく、その時好きになったことをまずやってみる。そういう生き方をしてきたからこそ今があると考えています。

滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえ、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
 自分が今何が好きなのかをその都度意識してみることが大事だと考えます。そして、今この瞬間、何が好きか具体的に文字にしてみるといいかもしれません。“なんか好き”じゃなく“何が好き”を明確にすることでその後の人生の方向性が示されると思っています。結局のところ、人間というのは好きな人、好きなことのためにこそ頑張れます。そして社会で生きていく限り、頑張らなくてはならない時が必ずあります。そんな時、そのためになら頑張れる、という自分の好きな人やもののことを明確に言語化してみる。それがモチベーションにつながりますし、今自分はいったい何のために頑張っているのだろうと迷ったりすることも減ります。好きは人それぞれで形はありません。どれだけ小さくても、些細なものでも、ひとつでなくてもいい。あとから変わったっていい。今この瞬間に、そのためになら頑張れるというもの、ことを見つけてみてください。

※1『13歳のハローワーク』
村上龍著、2003年11月に幻冬舎から刊行された本(ISBN13: 978-4344018037)。中高生向けのお仕事図鑑。2010年3月には『新13歳のハローワーク』(ISBN13: 978-4344018020)が刊行された。

※2『テニスの王子様』
『週刊少年ジャンプ』に連載された、中学校の部活動テニスを題材とした許斐剛(このみたけし)による日本の漫画・集英社刊。

※3『ヒカルの碁』
『週刊少年ジャンプ』に連載された、原作:ほったゆみ、漫画:小畑健による囲碁を題材にした日本の少年漫画・集英社刊。それを原作としたテレビアニメ、小説、コンピューターゲームなどのメディアミックス作品がある。

※4『SLAM DUNK』(スラムダンク)
『週刊少年ジャンプ』に連載された、バスケットボールを題材にした井上雄彦による日本の漫画・集英社刊。およびそれを原作としたメディアミックス作品の総称。

[プロフィール]
玉置 国大(たまおき くにひろ)
松竹株式会社 事業開発本部
イノベーション推進部 ゲーム事業室プロデューサー

1988年7月 岐阜県可児市生まれ
2007年3月 滝高等学校卒業
2013年3月 慶應義塾大学薬学部薬学科卒業
2013年4月 松竹株式会社入社
 同社 京都四條南座 監事室/新橋演舞場 監事室
 開発企画部 開発企画スタッフ/演劇企画開発室等を経て
2021年10月 同社 イノベーション推進部 新事業共創室
2024年5月 同社 イノベーション推進部 ゲーム事業室(現任)
 同室新設とともにゲーム事業への本格的な参入

※プロフィールは、取材日(2026年1月22日)時点の内容を記載しています。