
「一歩一歩」~インフラを支え、鉄道一筋人生~
新生テクノス株式会社 代表取締役社長 森 厚人 (昭和53年卒)
新生テクノス株式会社
https://www.stknet.co.jp/
滝高校在学中には同級生から「鉄道ファン」・「鉄ちゃん」と呼ばれ、大学卒業後は鉄道一筋に仕事をされてきた同窓生がいます。JR東海副社長から現在、新生テクノス株式会社の代表取締役社長をされている森厚人さんに鉄道人生についてお話を伺います。
新生テクノスという会社は、どんなことをする会社ですか。
電気設備工事を行う会社で、鉄道、高速道路、空港関係など交通にかかわる工事、原子力発電所などエネルギーにかかわる工事、市中の建物建設にかかわる工事などを行っています。世の中のインフラを支える重要な仕事として、“日本を守る”という意識をもって業務に携わっています。JRの関連会社でもある当社は、在来鉄道から新幹線、さらにリニアまで俗にいう3世代の鉄道にかかわる工事に携わっているのが大きな特徴です。
子どもの頃の夢は? いつ頃から鉄道関係の仕事をしようと考えられましたか。
子どもの頃は地図を見るのが好きで、何冊もの地図帳に落書きをしていました。落書きといっても、その時書き込んでいたのは、ここに鉄道を引いたらおもしろいな、ここに鉄道を引きたいという子ども心からの“鉄道路線”でした。鉄道が好きだったのは間違いないのですが、この列車が特に好きだ、この列車に乗りたい、鉄道運転士になりたいといったものとはちょっと違っていたと思います。今思うと、鉄道をインフラ的に考えるのが好きだったのでしょう。それが今の仕事にたまたま繋がったかなと考えます。
滝学園時代、どんな生徒でしたか。
滝中学から6年間お世話になりました。祖父が滝学園の教員だったご縁もあり、入学しました。家が江南市前飛保町にあり、通学が楽だったということも滝を選んだ理由のひとつでした。中学時代はスポーツ好きの少年でした。ただ、ハンドボールではドジをしました。シュートの際、空中でぎりぎりまで体を維持しシュートコースを探しシュートする。それがかっこいいので、それをやろうと着地する直前ぎりぎりまで頑張っていたら、結果として腰から地面に落ちてしまったのです。腰を悪くし、今でも引きずっています。かっこつけたかったのでしょう、完全に若気の至りでしたね。
それから、中学3年の頃だったか、地図好きの趣味が高じて、同級生の手塚朗君と一緒に放課後誰もいなくなった教室で、国土地理院の5万分の1の地図をいっぱいに広げてたまに遊んでいました。懐かしいですね。
高校では、部活はせず、映画と小説にはまっていましたね。高校2年生の時は、毎週末、名古屋に出かけていき一日中映画を見ていました。特に好きだったのは、当時リバイバルだった『風と共に去りぬ』(※1)です。同級生とつるんで何かするというより、一人で好きなことに没入するという生徒でした。先生には恵まれたと思います。中でも3年間担任だったおだやかな柴田嘉昭先生、数学でかなりのお年をめしていましたが切れ者で教え方がうまかった柴田馨先生、教えられるときも叱られるときも若くて粋がよかった世界史の浅野進先生は記憶に残っています。

東京大学に進学されるのですが、いつごろから「東大に行く」と決められていたのですか。それに向けて、何か特別なことをされましたか。
両親は医者になってほしいと思っていた節がありますが、数学系が得意だったこともあり、中学3年の頃から工学の道に進みたいと考えるようになりました。鉄道にかかわる仕事ができればなとは漠然と思っていましたが、はっきり思っていたのは研究者の道に行くのではなく、工学を実務に生かせる仕事に就きたいということです。工学部という大学を考えたとき、東京大学を受験しようとまず考えました。F組という固定クラスの中で東大を目指そうという友人が何人かいたことも決めた理由の一つです。特別に受験対策で何かしたということはありません。唯一あるとしたら、映画館通いをやめたことですかね。勉強漬けの毎日ではありましたが、受験勉強が苦痛だと思ったことは一度もありませんでした。
大学時代はどんな学生生活を送られたのですか。
休み期間には家庭教師のバイトはしていましたが、授業のある期間はしていませんでした。そういう意味でも、まじめな生活をしていた気がします。ただ、入った寮が、父が警察官だったことで警察官の子弟が入れる寮だったのですが、それで苦労しました。寮生は私立大学生が多く、その私立大学と東大の試験期間、休み期間が違っていたのです。東大の試験期間にもかかわらず、休み期間である私立大学の仲の良い友人からの遊びの誘いを断れなかったのです。大学で試験を受けてみて初めて、どうして遊んでしまったのだと後悔しましたが、楽しい時間であったことは間違いなく、東大時代の寮生活の良い思い出の一つになっています。
大学2年生の秋、滝の同級生の手塚朗君に尾瀬に連れて行ってもらい、それで登山にはまりました。秋の尾瀬というのは意外と登山客が少なく、尾瀬の大自然を独り占めした気分になり最高でした。それからは、休日に仲間と一緒だったり、単独でも山に登りました。最も覚えている山行は3年生の秋、10月中旬に槍ヶ岳に登ったものです。中房温泉から燕岳、大天井岳を経て槍ヶ岳に行くというルートでしたが、途中、雪が下から吹雪のように吹いてきたのです。ほとんどの登山者が引き返す中、無謀にも私は山行を続け、やっとのこと槍ヶ岳の山荘に着き、荷を預け、頂上を目指しました。そうしたら、その途中で雲を抜けたのです。そこには完ぺきな青空が広がり、その下には雲海が広がるという思いもしなかった自然の姿が現れたのです。富士山、南アルプスの峰々が輝きを放ち、その光景は一生忘れることはできません。今は、体力的なこともあって、なかなか山に行けませんが、妻と一緒に、八ヶ岳や中央アルプスのロープウエーで上がって、山の風景、雰囲気を楽しんでいます。

東京大学・工学部の卒業論文に、日本国有鉄道(国鉄)(※2)の「山手線ダイヤの最適化」を書かれたと聞きましたが、理由をお教えください。また、日本国有鉄道を目指そうと決められたのは、いつ頃でしょうか。
もともと土木志向が強かったのですが、2年の時の進路振り分けの際にいろいろ考えて、工学部電気工学科に進みました。交通関係に進みたかった気持ちがあって、その時対象として考えたのが、土木系の交通計画、航空工学、機械系の車両、電気系の電気鉄道だったのです。結局、交通システム工学がある電気工学科に決めたのです。その後入った曽根研究室の曽根悟先生は、当時、「鉄道事故が起こったなら曽根先生に聞く」というほどの権威ある先生でした。その研究室に入れたことは、私の今後に大きく影響しました。
卒業論文は、どうすれば山手線の輸送力を増やせるかということをシミュレートしていました。インフラとしての鉄道の効率化などを研究していたので、最もわかりやすい山手線を選んで卒論としたのです。贅沢なことに、研究室が当時の汎用コンピュータ(※3)の運用を所管していたので自由にそのコンピューターを使えたことはラッキーでしたね。現在のパソコンとは比較すべくもない機能でしたが、テーマをまとめるのに大いに役立ってくれました。卒論に国鉄関連を選んだことに加え、研究室の先輩が結構国鉄に就職していたこともあって、無事国鉄に入ることができました。
日本国有鉄道(国鉄)から、東海旅客鉄道(JR東海)、新生テクノスまでどんなお仕事に携われたかお聞かせください。
国鉄は入社した当時、赤字で瀕死の状況だったと思います。私は全国を対象とした鉄道ネットワークをどう機能させていくかに関心があり、鉄道がなくなるとは思っていませんでした。経営状況には全く無関心。ただ、私が採用された昭和57年を最後に採用がストップされたことで厳しい状況かとは感じました。入社後は東海道新幹線の電気関係設備の維持更新の仕事に従事していました。昭和62年4月の民営分割がスタートするにあたり、その前1年間は、本社で電気関係組織の分割の仕事をしました。土地は分割された会社と会社の境界を決めれば、そこで区分できますが、電気設備は線でつながっているものが結構あり、土地の境界で切れないのです。そのため、権利関係での問題が生じ、それを整理するという複雑で面倒な仕事も担当しました。
民営分割の際、私は国鉄の本社採用としての区分で採用されていましたので、上司より、全国どこででも仕事をする、ということで入社しており、分割後の身分は一任せよ、と言われ、そのようにしましたが、結果として、JR東海に入りました。国鉄入社後の実習は静岡でしたし、民営化が発表された昭和60年は豊橋の電気設備管理現場の助役をしていましたので、JR東海エリアで仕事をしてきたことが影響したのかもしれません。JR東海では、システム開発や国鉄時代携わっていた東海道新幹線の電気関係設備の維持更新に多くかかわりました。システム開発については、上場に必要な経理処理を迅速化するためのシステム、営業系のシステムの開発をしました。現在、東海道新幹線では、EXサービス(※4)が提供されていますが、その会員サービスを立ち上げたときの最初のシステム設計もやりました。もう30年以上前の話ですが、今のEXサシステムにもその痕跡は残っていると思います。
東海道新幹線を管理する電気部長の時に、東日本大震災が起きました。東京電力管内の電力供給が厳しくなり、走らせる電力の確保に苦労しましたが、関係電力会社と打ち合わせをしながら、限られた電力の中で運休させないで乗り越えることができました。震災後の東海道新幹線には被災地から地方に移動される方、被災地に復旧支援に行かれる方が結構乗られていました。その移動手段である東海道新幹線を止めてはいけない、さらに様々な思いをもった乗客者には東海道新幹線に乗っている間はリラックスしていただきたい、という強い思いがありました。青森から鹿児島までの新幹線ネットワークを早く機能させたいという思いもあり、JR東日本の東北新幹線の電気関係設備の一部区間の復旧工事も行いました。能登の地震の時に、全国から電力関係工事会社が集結し、地域の枠を超え復旧に協力しましたが、鉄道にも似た文化があります。
役員になってからは、安全対策の責任者、在来線の運行の責任者、技術開発、海外展開の責任者など幅広く担当しました。メーカーですと、専門部門一筋という方が多いと思いますが、私は鉄道会社の中で最も幅広く仕事をしてきた一人ではないかと思っています。在来線の事業本部長の時は、営業的なこともやりました。ウォーキングイベントを企画したり、当時『君の名は。』(※5)というアニメ映画が人気で、飛騨古川の駅がモデルとなったということで、それに関したイベントを企画しました。アニメのモデルとなった場所にファンが訪れる、「聖地巡礼」のブームが起こり、大勢の人が訪れました。アニメの集客力のすごさをまざまざと感じさせられました。良い経験でしたね。
JR東海を退任してからは現在の新生テクノスに勤めています。社長業以外に業界活動も多くやっており、中でも日本鉄道電気技術協会の会長職は非常に重い責任を担っています。協会の主な会員は鉄道事業者、関係工事会社、関係メーカーの会社と社員になります。鉄道の電気部門にかかわる技術仕様の検討、技術者の育成など技術にかかわる諸々のテーマに取り組むのが主ですが、鉄道電気要員の確保策の検討が今は大きな課題となっています。インフラを維持するにはまずは人が必要です。その人材確保が厳しい状況なのです。鉄道点検・工事などする時間は深夜です。鉄道が運行している時間はできないからです。そんな厳しい環境での職場で働きたいという人材をどう確保するのか。社員の高齢化も相まっており、現場では急務で大きな課題になっています。

趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
趣味は大学から始めた登山ですが、今はほとんど行っていません。はまっていることも特にないのですが、たまに妻が好きなオペラをいっしょに見にいっています。鉄道屋で現場に近いところにずっといましたので、万が一の事故に備え海外旅行に行くことができませんでした。大きな事故が起きると、事故復旧、影響を受けられたお客様対応に加え、マスコミ対応、監督官庁対応等をしなければならず、リアルタイム性を求められるためです。ということもあり、海外から良い公演が来日することを楽しみしています。ただ、鉄道人生に区切りがついたら、ヨーロッパに行って、本場オペラを堪能したいですね。
座右の銘は。
「一歩一歩」。そして「努力は人を裏切らない」です。
かっこよく、うまくやってすごい成果が上がるなんてことはほぼないと思っています。一歩一歩を積み重ねることで、大きな一歩になる。それにはポジティブに前を見ること、どうプラス思考を持ち続けるかが大事なのです。そして、一歩前進したよね、という価値観を共有する。鉄道はうまく稼働・運行して当たり前。何か起こればマイナス。そんな状況下に置かれたとき、めげることなく、検証し、反省し次のプラスに持っていくための努力をする。その努力というものは間違いなくその人を成長させる。前を向いて地道に一歩一歩を積み重ねていく。その意識は今も続いて持っています。
滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえで、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
人生の選択には、人それぞれが持つ価値観というものが大きく影響します。私は長期的な価値観で人生を選択してきたほうだと思いますが、どんな道を選択しても、なかなか順風満帆とはいかないと思います。そういう中で感じるのは、物事は見る方向によっては良くも悪くも見えるということです。うまくいかないなと思っても、見方を変えれば、意外と良い方向に向かっているんじゃないかと。それがポジティブ思考だったのです。さらには、その選択する際の根拠に、社会に人にどう役立つのかという考えをもつことでした。
ただ、最近の若者を見てみると、目先の良さや楽さに引きずられる傾向が強まっているような気がします。人生の選択において、より楽なほうを選ぶのです。それを頭から否定するつもりはありません。空調の効いた部屋で端末に向かい、時間になったら退社、土日は休み。こちらを選ぶ人ばかりでは、水道管のメンテナンス、鉄道設備のメンテナンス、道路のメンテナンスを仕事とする人はいなくなります。これらの仕事は、人々の生活を支えるもので、なくてはならないものです。自分が楽をしたいために仕事を選んでいては一人の人間としての成長はないと思っています。自分は社会の役に立っているのか、誰かの役に立っているのかを人生選択時の指針として考えてほしい。インフラを支え、日本の国をしっかり支えていくというモチベーションを持った人がきちっと繋がっていくことを期待します。
※1『風と共に去りぬ』
『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、英語: Gone With the Wind)は、マーガレット・ミッチェル原作の1936年6月に出版された長編時代小説。題名はアーネスト・ダウスンの恋愛詩「シナラの詩の一句から引用したもので南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」ことを意味する。3年後の1939年にアメリカで(英語版)製作された映画で、400万ドル前後の製作費をかけて全編3時間42分という大長作であった。
ヒロインのケイティ・スカーレット・オハラ(Katie Scarlett O’Hara)は、マーガレット・ミッチェルの長編小説『風と共に去りぬ』及びその続編作品『スカーレット』に登場する架空の人物で、同作の主人公である。アメリカ南部の農園主の娘として生まれ、貴族同然の裕福な暮らしを送るが、やがて南北戦争に巻き込まれ、波乱な運命をたどることになる。激動の時代を生きた一人の女性の物語、映画版にてオハラを演じたのはヴィヴィアン・リーであった。今でもアメリカ映画史上、超大作といわれる。
※2 汎用コンピューター
基幹業務システムで使われる大規模コンピューターのことです。「汎用」とある通り、広い分野で様々な方面で利用され、「基幹業務」とは、企業やビジネスにおいて無くてはならない主要な業務のことを指す。ビジネスにおいて必要不可欠な作業をシステム化した物を「基幹業務システム」と呼ぶ。
汎用コンピューターの特徴は、
●汎用性: 多様な用途に対応し、幅広いアプリケーションを実行可能。
●高い処理能力: 複雑なタスクを効率的に処理。
●複数ユーザー対応: 同時に複数のユーザーがアクセスして作業可能。
●豊富なソフトウェアサポート: 多様なアプリケーションが利用可能。
などがあげられ、パソコンのような小型コンピューターが生まれる前に主流だった、大型のコンピュータシステムのことを指すことが多い。
※3 日本国有鉄道(略称:国鉄・こくてつ)
日本国有鉄道(にほんこくゆうてつどう、にっぽんこくゆうてつどう)、英: Japanese National Railways、英略称:JNR)は、日本国有鉄道法に基づき日本の国有鉄道を運営していた公共企業体である。
経営形態は政府が100%出資する公社(特殊法人)であり、いわゆる三公社五現業(☆)の一つであった。職員は日本国有鉄道法第34条第1項により「公務に従事する者」とみなされていたが、国家公務員ではなかった。
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、政府出資の株式会社(特殊会社)形態であるJRグループ各社及び関係法人に事業を承継し、日本国有鉄道清算事業団(1998年〈平成10年〉10月22日解散)に移行した。1872年(明治5年)の鉄道開業以来、国営事業として鉄道省などの政府官庁によって経営されてきた国鉄は、6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割され、国鉄は115年の歴史に幕を下ろした。
北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)、東海旅客鉄道株式会社(JR東海)、西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)、四国旅客鉄道株式会社(JR四国)、九州旅客鉄道株式会社(JR九州)、日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)
☆三公社五現業
国営企業労働関係法(公共企業体等労働関係法)の適用を受けた、公共企業体および国の経営する企業。かつて日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社の三公社と,郵便・国有林野・印刷・造幣・アルコール専売の各事業(五現業)を行う国営企業とがあった。
※4 EXサービス
東海道・山陽・九州新幹線を対象とした、JR東海、JR西日本、JR九州が運営するインターネット予約サービスの総称である。当初は、JR東海の東海道新幹線だけのサービスでした。主に年会費が必要な「エクスプレス予約」と年会費無料の「スマートEX」の2種類がある。
※5『君の名は。』
『君の名は。』(きみのなは、英:Your Name.)は、2016年公開の日本のアニメーション映画。コミックス・ウェーブ・フィルム製作、新海誠脚本・監督。主演(声の出演)は神木隆之介と上白石萌音。作画監督は安藤雅司、キャラクターデザインは田中将賀が務めた。
東京に暮らす少年・瀧(たき)と飛騨地方の山深い田舎町で暮らす少女・三葉(みつは)の身に起きた「入れ替わり」という謎の現象と、1200年ぶりに地球に接近するという「ティアマト彗星」をめぐる出来事を描く。
この映画上映をきっかけに、物語の舞台となったロケ地長野・岐阜・東京のアニメ聖地を巡礼するブームが起こり、今ではアニメ聖地巡礼が文化になっている。
[プロフィール]
森 厚人(もり あつひと)
新生テクノス株式会社 代表取締役社長
1959年9月 愛知県江南市生まれ
1982年3月 東京大学工学部電気工学科卒業
1982年4月 日本国有鉄道 入社
1987年4月 東海旅客鉄道株式会社 入社
1997年6月 同社 新幹線鉄道事業本部電気部信号通信課長
2000年7月 新生テクノス株式会社 経営管理部担当部長
2002年7月 東海旅客鉄道株式会社 新幹線鉄道事業本部電気部担当部長
2004年7月 同社 関西支社工務部長
2006年7月 同社 総合技術本部技術企画部担当部長
2010年6月 同社 新幹線鉄道事業本部電気部長
2014年6月 同社 執行役員安全対策部長
2016年6月 同社 取締役執行役員東海鉄道事業本部長
2018年6月 同社 常務執行役員総合技術本部副本部長・技術企画部長
2020年6月 同社 取締役専務執行役員総合技術本部長
2022年6月 同社 代表取締役副社長
2024年6月 新生テクノス株式会社 代表取締役社長(現任)
一般社団法人日本電設工業協会関東支部 理事
一般社団法人東京電業協会 常任理事
一般社団法人鉄道電業安全協会 理事 東海支部長
2025年6月 日本鉄道電気技術協会 会長(現任)
※プロフィールは、取材日(2025年11月21日)時点の内容を記載しています。