
「稽古は強かれ、情識はなかれ」~日本の伝統芸能・能を追究する~
観世流シテ方能楽師
安藤 貴康(平成7年卒)
公益社団法人 能楽協会 公式サイト
https://www.nohgaku.or.jp/
web版 能楽タイムズ
https://www.nohgakutimes.jp/
銕仙会(てっせんかい)
http://www.tessen.org/about
安藤貴康インスタグラム         https://www.instagram.com/taka_andoo/?hl=ja
令和7年度滝学園同窓会懇親会(9月7日開催)で、新作能「瀧信四郎(たきのぶしろう)」を披露された安藤貴康さんは、滝学園の卒業生でいらっしゃいます。
今回は、観世流の能楽師をされている安藤貴康さんにお話を伺います。
能楽師って、どんなお仕事ですか? また、どんなきっかけでこのお仕事に就かれたのか、お聞かせください。
 私が能の世界に足を踏み込んでから25年になります。
能楽師とは能楽堂やホール、寺社仏閣、時には海外で演能をします。能楽師も色々ありまして、まず立ち方としてシテ(主役)方、ワキ方、狂言方、囃子方(はやしかた)(※1)として笛方、小鼓方(こつづみかた)(※2)、大鼓方(おおつづみかた)(※3)、太鼓方(たいこかた)(※4)と分かれており、さらにそれぞれに流儀があって、シテ方では観世(かんぜ)流、宝生(ほうしょう)流、金春(こんぱる)流、金剛(こんごう)流、喜多(きた)流と五流あり、私は観世流シテ方能楽師というくくりになります。
能の特徴は色々あるのですが、まず能面を使用するという事です。面の歴史は古く、大陸から流れてきた伎楽面、雅楽面などがどんどん精巧になっていき、室町時代にはベースができ、安土桃山、江戸期に完成されて、現代に伝わっております。もう一つの特徴として、能はただの演劇ではなく神事だという事です。日本の芸能が天の岩戸隠れのアマノウズメの舞を起源としているように、神を喜ばせる、神に捧げるという事をモットーにしております。神、男、女、狂、鬼と色んな曲がありますが、どんな曲をやるにしても神事である事を意識しています。
なぜ能楽師に?という質問は色んなところで受けて参りました。特に私のような、能の家の子でもない人間が伝統芸能の世界にどういう経緯で入ったのか。まず演劇を突き詰めていったところに能があった、というところでしょうか。高校時代は演劇に夢中になっておりまして、将来は役者になんて思っていました。あれこれ演技について考えているうちに、自然な演技とは何だろうと考えるようになりました。立っているだけで芝居になるような演技、それが能にはメソッド(構え、運び)としてあると思い興味を持ったのが始まりです。能にはあらゆる人間の喜怒哀楽のドラマがあり、面装束の美しさ、武家社会のしきたり、『源氏物語』、『平家物語』、『伊勢物語』などの日本の文学、そして何より修行というものが自分の肌に合っていて、のめり込んでいったという感じでしょうか。
新作能「瀧信四郎」の披露される準備期間はどのくらいかかったでしょうか。素人も参加ということで、大変だったのでは・・・
2025年は我々の学年が同窓会の幹事を務める年でしたが、ちょうど一年ほど前に実行委員の方から能をやってもらえないかという依頼を頂きました。能には祝言の曲というものがあり、滝学園99周年ということで、100周年に繋がるようなお祝いのものが出来ればという事でお引き受けしました。どうせやるなら既存曲ではなくて新曲を手探りで作ってもいいよね、それなら皆も巻き込んだほうが楽しいよね、という事で滝学園創立者であられる滝信四郎先生(※5)の霊が現代の滝学園に降臨し、巣立っていった三万余の卒業生と現役生、学園の未来を寿ぐという内容にし、地謡(じうたい)は同級生にやってもらい、私が詞章(ししょう)(※6)を書き、それを当時古文の先生でいらっしゃった杉本寿美代先生に添削して頂くという事でトントン拍子に事が運んでいきました。


 地謡は月2回zoomを使って稽古を行い、夏には来られる人だけ東京青山の銕仙会(てっせんかい)能楽研修所にお出で頂き、そこで試演をしました。結局囃子方を含め全員が集まったのは同窓会の当日の朝です。そこで一度だけ通しでやってみて、本番に臨みました。
 囃子方には、『高砂(たかさご)』をベースに作ってあるので高砂の手組みでやって頂いて、出端(では:シテの登場曲)の位は尉面(じょうめん)をつけて鹿背杖をついているので『白楽天(はくらくてん)』の位で、その代わり神舞から急にかかって『養老水波』の位(百年があっという間だったというイメージ)で三段目は盤渉(ばんしき)に、謡頭以降は通常の高砂の位で、とお伝えするだけで出来てしまうのは、型がしっかり出来ている能ならではだと思います。

先に能は神事だと申し上げましたが、信四郎翁は神ではありませんのでどうしたものか、と思っておりましたが、本番直前に宴会場の扉の外で待っている時に、ふいに私の中に滝学園への思いや先生方への感謝の気持ちなどが湧き上がってきて、その時にはじめてこの曲が能のカタチになれたのではないかと思っております。
滝学園時代、どんな生徒でしたか。
 高校時代は演劇部に入っておりました。当時の滝高校演劇部は最強で、全国大会常連校でした。部員も1〜3年で90人いて、講堂と部室の間は全力ダッシュしていました。高校1年の時に見た如月小春さんの舞台『夜の学校』が演劇にのめり込むキッカケだったように思います。授業中は教科書を立てて、先生の話そっちのけでひたすら舞台の台本や舞台装置図を書いたり、妄想しておりました。
 それから高校2年の時に『5時サタマガジン』という中京テレビのローカルテレビ番組のドラマのオーディションに合格して出演しました。人気番組でしたから、巷ではちょっと有名になりました。
 6年を通してですが、自分が何をしたいのかをずっと模索していたように思います。
大学は、やりたい専攻科目とか進路を考慮して学部を決められたとか何か理由みたいなものがありましたか。また大学時代は、どんな生活でしたか。
 文学部一択でした。なかでも早稲田大学に行きたくて、文学部の指定校推薦枠が当時滝にもあったので、土居修先生に相談しにいったら鼻で笑われたのを覚えております(笑)。現在10年ほど早稲田大学観世会の師範をしておりまして、入学こそしませんでしたが、何かとご縁を感じております。
 上智大学文学部へ入学し、演劇をしようと思っていたのですが、どのサークルも張り合いがなく、その頃早稲田大学で人気のあった劇団東京オレンジ(当時堺雅人が看板役者でした)に入ろうと思っていた矢先、校内で勧誘されるまま昔から憧れていた弓道部に入部しました。また夜は新宿TSUTAYAでバイトをしながら1日に映画を3本見る生活をして、役者よりも次第に映像を撮るほうに興味が移っていきました。邦画、洋画沢山見ましたが、いまだに好きなのはレオスカラックスの『ポンヌフの恋人』とヴィムベンダースの『パリテキサス』です。その当時の新宿TSUTAYAには変わった人が大勢いて、いま映画監督で活躍している人や、朝ドラの名脇役で活躍している役者さんなど、とても刺激になりました。その頃に東京国際映画祭の会場で是枝裕和監督にお会いして(是枝監督も新宿TSUTAYAによくビデオを借りにいらっしゃいました)色々とお話しさせていただいたところ、今度映画撮るから遊びにきなよと仰っていただき、そこから映像ドキュメンタリーに興味を持ち始めました。そんな時に沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで、同じようにバックパックを担いでアジアへ旅に出かけました。ただ旅をするのも勿体無いので、当時高価だったビデオカメラを購入して、「あたなにとっての幸福とはなんですか?」というドキュメンタリー映像作品をつくる事を目的にしました。この頃には自分が将来何をしたいのか、それは幸福と密接な関係にあるという事を何となく感じていたからです。タイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、中国、マレーシア、インドと色々周りました。思い出に残っているのはカンボジアのアンコールワットでボロボロの服を着て空缶を拾っては僅かなお金に替えていたルンという少女に出会った時です。通訳を介して質問したところ、「私は幸福なんてない、明日なんて考えられない」と返ってきました。それからは2週間ほど彼女と彼女が連れていた2匹の犬を追いかけて、アンコールワットのなかで一緒に遊んだりしました。彼女が歌う天使のような歌声を今でもよく覚えています。
旅から帰ってくると、日本人という事を意識するようになりました。日本人に出来る事、日本の文化を守りたい。そこでまずは歌舞伎に傾倒していきました。これは父が好きだったという事もあります。たまに父が上京すると築地のお寿司を食べてから歌舞伎座の一幕見席へ行くというのが恒例でした。私が就職活動をする年は超氷河期と言われる時期でして、就職するのも一苦労という時代でしたが、人づてで歌舞伎座の支配人に面接して頂いて、歌舞伎座勤務の内定を頂きました。しかしながらその少し前から私の興味は歌舞伎から能へと移っており、折角決まっていた内定をお断りして、観世銕之丞(かんぜてつのじょう)の鞄持ちから能楽師のスタートを歩む事になりました。
いつ頃から能楽師になろうと考えられましたか。どうすれば、能楽師になれるのでしょうか?やりがいを感じる時は? 特に記憶に残ることは? ワークライフバランスはどのようにされていますか。
 能の家の子でもない者が能楽師になるには、まず門を叩く事です。私の場合は茶髪で耳にピアスをした状態で国立能楽堂の養成課へふらっと行き、「能楽師になりたいんですけど〜」という感じでした。あちらも相当驚いたと思います(笑)。「国立能楽堂では三役(ワキ方、狂言方、囃子方)の養成はしているけれど、シテ(主役)方はやっていないので、シテ方になりたいのならそれぞれの家で住み込み修行をするしかない、誰を知ってるの?」と聞かれて、たまたま答えたのが観世榮夫(かんぜひでお)でした。それじゃ銕仙会だね、ということで電話番号を教えて頂き早速連絡したところ、ちょうどその年の夏に人間国宝(※7)でいらっしゃった先代の八世観世銕之丞が他界されて今の先生に代交代された時期でして。そこへ誰の色にも染まっていない無垢な青年がやりたいと目を輝かせて入ってきた訳ですから、先生のほうもこの子を何とか鍛えてやろうと思われたのかもしれません。銕仙会は観世流の分家観世銕之丞率いる団体なんですが、全国にある流儀、団体のなかでも超がつくほど一流の団体でした。それは昭和の能楽界を牽引した榮夫の兄観世寿夫(かんぜひさお)と、弟静夫(八世銕之丞)の存在が大きいです。世阿弥の再来と言われた寿夫の弟子たちがまだ第一線で活躍している時代で、それらの芸を間近で見ながら通い2年、住込み7年、計9年(大抵は5、6年)の内弟子生活を経て独立しました。内弟子といっても毎日稽古をつけてもらえる訳ではありません。いわゆる芸は見て覚えるというやつです。謡にしても型にしても素人のように丁寧に教えてもらえる事はありません。シテ方はシテ、ツレなどの謡、型以外に既存曲200曲程の地謡、それぞれの面装束の種類、着付け、作り物(舞台装置)、囃子事(笛、小鼓、大鼓、太鼓)も分かっていなければならないので、覚える事が山のようにあり、9年間などあっという間でした。入った当時は着物の畳み方すら知りませんでしたから(笑)。
ちなみに金銭面ですが、書生時代は舞台に住込み(といっても個室がある訳ではなく、先輩方が日中煙草を吸う部屋が、夜には布団を敷いて寝る部屋になる程度)ですから家賃、光熱費はかかりません。食事も本番があれば弁当が出ますし、週に2回賄いご飯もありました。稽古場に関しても、夜9時以降は皆帰ってしまうので舞台で稽古し放題でした。夜中に舞台で稽古して、疲れてそのまま寝ちゃって気がつけば朝なんて事もよくありました。書生時代でも役がつけば出勤料は頂けて、頂いたお金は袋のまま先生のお母様に預けるんです。そしてその中から生活費として半分頂けて、残りは書生を出るまで貯金して下さるという習いでした。9年経ってお返し頂く時に、あなたは書生期間が随分長かったから郵便貯金は満額になってしまって、残りは小切手にしましたよ、と渡されました。ちょうどその頃1ドル78円とかの円高で、その足で銀行きに行きドルに変えたのを覚えております。
能を山に例えますと、近所の低い山から1000m級の山、2000m級の山、北アルプスの山、富士山、そして世界の名峰と色んな山があります。いきなりエベレストは登れません。能も同じように、まず簡単な仕舞(しまい)(能の一部分を着物で舞うもの)から始めて、それを100曲程覚えたら次は舞囃子(まいばやし)(囃子が入る舞物)、舞物は中ノ舞(ちゅうのまい)、神舞(かみまい)、男舞(おとこまい)、黄鐘早舞(おうしきはやまい)、盤渉早舞(ばんしきはやまい)、序ノ舞(じょのまい)、真ノ序ノ舞(しんのじょのまい)、翔、働き、羯鼓(かっこ)、楽(がく)、神楽(かぐら)などあり、笛の流儀が違うと唱歌も変わってきます。それが終わるとようやく簡単な能を一曲通して稽古していき、次の曲、次の曲と少しずつ難しい曲に挑戦していきます。既存曲は230曲ほどありますが、エベレストに相当するのは老女物と言われる『関寺小町(せきでらこまち)』、『檜垣(ひがき)』、『姨捨(おばすて)』でしょうか。大抵の能楽師はその頂へ向けて登っていきます。私も同じように、と言いたいところですが、あまりこだわりはありません。所詮出来レースのようなところもありますし、レールのようなものは昔から嫌悪しております。ただ先日息子が9歳で初シテをさせて頂きまして、彼には順当にやらせてあげたいな、という気持ちはあります。
子どもの頃の夢は?
 医者ですね。父が町医者をしておりましたので、自然と自分は医者になるものだと思っておりました。手先が器用だったので向いていたと思いますが、それは能の世界でも小道具を作ったり裁縫をしたりするのに役立っております。
趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
 まず能面、装束の収集です。装束は京都の西陣で、正絹で織られる高価な物なんですが、昨今職人も減っていて今作っておかないと次の世代は作れなくなっているかもしれません。かといって糸もせいぜい百年程しか持たないんですけど。面は美術的な価値もありますからたまに出る古面などを収集します。古面は時代を経て受け継がれてきただけあって、新面では出せない味わいがあります。良い面はそれだけで宇宙を感じさせますね。

それからVWの空冷ビートルです。うちのは1969年の物でベルギーからほぼオリジナルの状態の良い物を取り寄せました。昔はあちこちで走っていたビートルも今では状態の良い物は世界的にも少ないです。空冷なので独特のエンジン音が良いですし、キャブ車なので日常メンテくらいなら自分でできます。こないだ走っていて急に後輪が脱輪したんですけど(私のせいではなく車検屋の整備ミスです)、自分が運転している充実感が良くて、舞台のストレスのはけ口として乗っております。いじっている時は無心になれますから。

あとはうちの子ども達の稽古です。小学四年生と二年生ですが、子方の舞台が月一くらいでありますから、その稽古をしています。これも観世銕之丞先生をはじめ、大槻文蔵先生、片山九郎右衛門先生など第一線の方にお相手して頂けるので大変有難いことだと思っております。
座右の銘は。
「稽古は強かれ、情識(じょうしき)はなかれ」(世阿弥、風姿花伝「序」)
「稽古には徹底して強くあるべきで、慢心のための強情・頑固があってはならない」と説いて、技術と心の両面をバランス良く磨くことだと言えるでしょう。
滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえで、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
 学園は田舎にあります。むしろ私はそれがとても好きでしたが、所詮は田舎です。頭の良い子も沢山いますが、そこにとどまっていてはお山の大将止まり。まずは都へ、海外へ飛び出して、眠っている自我を叩き起こしてください。孤独のなかで見えてくる、自分はこうしたいみたいなところの道を信じて突き進んでいってみると面白いんじゃないかと思います。
 結局のところ私の理想な生き方とは、何を生業にするのかではありませんでした。学生の頃中国を旅している時に、南京の南大門の上から夕暮れ時の旧市街を眺めていると、ふいに雑多な人々のなかにお母さんと子どもが手を繋いで家路に着く後ろ姿を見つけました。それを見た時に、これこそが自分が目指していたものだとハッとしました。私は妻と子ども達のことが大好きです。息子と稽古をしている時間がとても愛おしく思えます。名誉や地位やお金など私にはどうでもよいのです。
 そしてもう一つ、誠実になることです。誠実ならば困った時に誰かが手を差し伸べてくれます。
どうぞ豊かな人生を歩んでください。
能楽堂にも遊びに来てくださいね(笑)。
※1 囃子方
能楽で囃子(楽器)を専門とする人で、笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方の四拍子。歌舞伎の鳴物は全ての楽器を担当するのに対して、能はそれぞれ専業である。
※2 小鼓方
能楽で小鼓を専門とする囃子方。大倉流、幸流、幸清流、観世流がある。
※3 大鼓方
能楽で大鼓を専門とする囃子方。高安流、葛野流、石井流、大倉流がある。
※4 太鼓方
能楽で太鼓を専門とする囃子方。観世流、金春流がある。
※5 滝信四郎
1868年9月1日(慶応4年7月15日)~1938年(昭和13年)11月26日)、江戸時代から昭和時代の実業家。滝兵右衛門の四男。創業家5代目で株式会社滝兵商店(現在のタキヒヨー)代表取締役。滝実業学校(現在の滝中学校・高等学校)の創設者、1926年開学。蒲郡市の観光開発に多大なる貢献をした人物でもある。
2024年11月1日オープンしたスタートアップ支援拠点「STATION Ai」内「あいち創業館」では、愛知の産業を発展させた経営者として選出され功績展示されている。
※6 詞章(ししょう)
能の台詞や歌詞こと。言葉と節に大別される。
※7 人間国宝
日本の文化財保護法第71条第2項に基づき同国の文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として個人認定された人物を指す通称。
[プロフィール]
安藤 貴康(あんどう たかやす)
観世流シテ方能楽師
大和子ども能講師
1976年11月 愛知県一宮市生まれ
1995年3月 滝高校卒業
2001年3月 上智大学文学部卒業
2001年4月 銕仙会に入門 、九世観世銕之丞、及び山本順之に師事
2001年11月 仕舞『嵐山(あらしやま)』で初舞台
2007年12月 『小鍛冶(こかじ)』で初シテ
2008年1月 『翁千歳』を披く
2009年1月 観世流準職分認定、独立
2010年9月 『石橋(しゃっきょう)』を披く
2012年12月 『猩々乱(しょうじょうみだれ)』を披く
2023年10月 多治見少年少女合唱団とオペラ『天鼓』岐阜サラマンカホールで上演
(2024年10月 多治見ホールで再演)
2025年9月 滝学園同窓会で新作能『瀧信四郎』を上演
[海外公演歴]
ポーランドで『ショパン』『鎮魂』
ニューヨークで『鷹姫』『利休、江之浦』『北條』
ウィーンで『ヤコブの井戸』
韓国で『望恨歌』
[国内公演歴]
長崎で『長崎の聖母』
沖縄で『沖縄残月記』
高野山で『空海』
歌舞伎座、及び市川海老蔵興行『源氏物語』
杉本博司Noh Climax
その他多くの新作能、国内、海外公演に参加
[所属団体]
公益社団法人能楽協会・公益社団法人銕仙会
[主催会]
山羊の會・喜諷會
★資料図書
『職場体験完全ガイド45
能楽師・落語家・写真家・建築家 芸術にかかわる仕事3』
出版社:ポプラ社(2015年4月)
ISBN-13: 978-4591143704
★能について調べるには
銕仙会(てっせんかい)
http://www.tessen.org/about
the 能.com
https://www.the-noh.com/jp/
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※プロフィールは、取材日(2025年10月26日)時点の内容を記載しています。